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目覚めはいつか漠然と魔法のように訪れるのではない


そこには確実な階梯がある

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることの理解が浅い段階においては、まだ学びの階梯が見えていないので、漠然としたコースの学びと実践をしてしまうのは仕方ないことです。

でも、コースの学びが深まっていくならば、実際に、学びの階梯が見えてくるだけでなく、その学びと実践はより明瞭なものになると言うことができます。

私たちが気をつけなければならないのは、漠然とした学びと実践のままで、コースを学んでいるつもりになってしまわないようにすることです。

そのことについては、ワプニック博士も、「学びの階梯の一番下に留まらないように!」という言葉で、コース学習者の私たちに注意を促しています。

というのも、コース学習者によくありがちなのが、

「赦し」を実践していきさえすれば、あとはイエス(聖霊)が実相世界に連れていってくれて、いつかこの世界から目覚めていくのだろう、とか、

あるいは、
イエスや聖霊に助けを求めていけば、イエスや聖霊に祈ってさえいれば、やがて罪悪感は取り消されていって、いつのときにか目覚めていくのだろう、とか、

コースをそのように捉えて漠然とした学び方をしているとしたなら、それはコースが正しく学ばれていないと言うことができましょう。

コースが教えていることが明瞭に理解ができていない段階においては、そのような学び方をしてしまうのは仕方のないことですが、コースが正しく学ばれてその理解が深まっていくならば、学びの階梯がしっかり見えてくることを知っておきましょう。

たしかに、コースの中で、イエス(聖霊)が私たちを導いてくれる存在であるかのように表現されています。

ですが、本当にその学びが深まっていくならば、それらが比喩的な表現であることが分かってきます。

言い換えるなら、コースの学びが進んでいくにつれて、実相世界に至る道はそのような漠然とした道ではないと分かってくるということです。

つまり、実相世界へ至る階梯がしっかりと見えてくるということです。

この道は、いつか魔法のように目覚めていけるようなものではないということを覚えておきましょう。

実相世界へ至るには、確実な階梯があるのです。

学びが深化していくならば、その階梯がよりはっきりと見えてくるということです。

なにせ、学びが浅い段階においては、イエスや聖霊の導きに従っていけば、ゆだねていくことをしていけば、イエス、聖霊が目覚めへと連れて行ってくれる、というふうに思いながら漠然とした学びをしていきがちです。

コースはそのようなフワフワとした曖昧な霊性の道ではないということを肝に銘じておくと良いでしょう。


イエス、聖霊は、魔法使いみたいな存在ではない

私たちはなぜコースを学んでいるのか?
私たちはコースを通して何をしようとしているのか?

コース学習者である私たちはそのことについて自分の中でしっかりと明瞭にしていく必要があるといえます。

そうでないならば、コースを学んでいるつもりでいたとしても、まったくちがった学び方をしてしまいかねないからです。

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コースをもっと深く理解していきたい方へ。コースの学びが進んでいくとどうなっていくのか?というテーマで、もりG自身が体現した実録レポートとして、一般には公開できないDeepな話が書かれているコラム集です。

コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、非二元、真理、悟り、解脱を目指しているコース学習者のためのマガジン。

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