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超能力や霊的能力も、啓示体験や超常体験も、コースの歩みにおいてはまったく関係ない
サイキック能力やスピリチュアル能力について
コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学ぶ以前といえば、「サイキック能力」や「スピリチュアル能力」といった神秘力や神秘性に憧れもしたし、心惹かれたものです。
でもコースを学び、その理解が深まっていくにつれて、そういったものに対する見方がずいぶんと変わったと気づきます。
以前は、霊的な能力(サイキック能力/スピリチュアル能力)に対して、そして、そういう能力を持っている人に対して特別な想いがあったりしたわけですが、今となってはまったくその見え方がちがいます。
どのように見えるかというと、霊的な能力(サイキック能力/スピリチュアル能力)といったものは二元性のスピリチュアリティに属するまやかし(魔術)に見えるということです。
それが分離(自我)を強化するものでしかないと分かっているなら、言い方は悪いですが、もはや茶番以外の何ものでもありません。
今となっては、それが霊的な能力であったとしても、いわゆるこの社会における才能、技能、能力といったものとなんら変わらない、その人の個性の一つを表しているにすぎないものとして見えます。
この世界にはいろんな能力や才能を持った人がいて当然で、でもそのどれもが幻想世界の中で作り出したキャラクター(登場人物)でしかないわけで、多種多様な人がいて当たり前だと思うわけです。
つまりは、サイキック能力やスピリチュアル能力は、その個人のパーソナリティを表現しているだけであって、コースの霊性の道を歩んでいくにおいては、霊的能力があるとかないとか、その能力が優れているとか劣っているとか、まったくどうでもいいものだといえましょう。
ようするに、コースの学びと実践を通してこの世界の夢から目覚めていく者にとっては、霊的な能力(サイキック能力/スピリチュアル能力)は、コースの学びとはまったく関係ないものであるということです。
それは、サイキック能力、特殊な能力に限ったことではなく、悟りの体験、啓示体験、一瞥体験、臨死体験、超常体験といったものについても同じことがいえます。
コースの学びが進んでいくにしたがって、そういうものに価値を見い出すことがなくなっていくということです。
というのも、「世界は無い」「外側には誰もいない」「すべてが自分であり、自分はここにはいない」ということが思い出されていくならば、そういったものにどんな価値があるというのでしょう。
コースの学びが深まっていくにつれて、そのような見方、考え方になっていくということです。
このコースはそのようにして二元性のこの世界を超えていく霊性の道であるということをしっかりわきまえて、コースを学んでいきましょう。
自我を超えていくために知っておくべきこと
上記でも述べましたように、霊的な能力があるからといって、あるいは、「悟りの体験」「一瞥体験」といった体験をしたからといって、彼らがコースの学びにおいて進歩した者たちかと言うなら、そういうものとはまったく関係ないということです。
むしろ、そういったものが霊性の道の歩みの妨げになることさえあるということを知っておくと良いでしょう。
なぜなら、「スピリチュアル」「非二元」「悟り」といった霊性の道の歩みにおいて、そういったものがかえって歩みの妨げになることはよくあることだからです。
コースという一元論のスピリチュアリティを歩んでこの世界の夢から目覚めていこうとするのであるならば、私たちはそのことについて十分に警戒しなければならないといえます。
自我というものは、「霊性」のように見せかけられたものを隠れ蓑にしてでも、最後の最後まで居残ることができるものです。超能力や霊的な能力をもっている人であろうと、啓示体験や超常体験をしたことのある人であろうと、普段の肉体の生活に戻った時に、ほんの少しでも苛立ったりすることがあるなら、まだ自我は残っていると言えます。 けれども、『奇跡講座』を学び続けるなら、私たちは自分の自我の反応を、きわめて微妙なところまで自覚できるようになってきて、それにより、それらを超えていけるようになります。
自我(私たち)は、霊性(スピリチュアル)すらも隠れ蓑にして、特別性、個別性を保持しようとするのだということです。
そのようにして、この幻想世界の夢の中に、つまり、二元性の中に留まらせようとするわけです。
ですから、コース学習者である私たちは、そのような自我に対して警戒していく必要がありますし、そのためには、自我についてしっかり学んで、自我についてしっかり理解する必要があるのです。
二元性を超えていきたいのであれば、つまり、自我から自由になっていきたいのであれば、それは必然だといえます。
自我をみくびってはならないということです。
コースの学習者であるならば、自我の巧妙さについてしっかりと理解しておくことが求められているということです。
サイキック能力やスピリチュアル能力に騙されないように。
そして、自我を霊性(スピリチュアル)の隠れ蓑にしないように。
そして、この学びの道程から逸れることのないように。
何のためのコースの学びなのか?
その目的を見誤らないように、見失うことがないように、私たちは自我に警戒していく必要がありますし、そのためにも、コースの形而上学をしっかり根付かせていくことがとても大切だと言うことができるでしょう。
参考記事:JACIMサイト別館 ワンポイント解説:「否認のもつ力を見くびってはならない」
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