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私たちにとって、なぜイエス、聖霊が必要なのでしょう?

自分は自我である、狂気であるという自覚

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を通して何を学んでいるのか?

というなら、

私たちコース学習者は、

自我の思考体系がいかに狂っているか!
そして、
その狂った思考体系と自分は同一化してしまっている!

ということを自覚(認識)していくためにコースを学んでいるのだと言うことができます。

というのも、コースを学んでいくことによって、この自分は自我の狂気の思考体系を基盤として思考していることが自覚されていくからです。

つまり、自分は狂っている(病んでいる)ということが自覚できるようになっていくということです。

そういうことを自覚するとき、正しい思考体系と、正しい知覚の仕方を修得していく本格的な学び(歩み)がはじまるといえます。

いわゆる、「イエスを教師とする」「聖霊を教師とする」という訓練のはじまりだということです。

言い換えるなら、この「自分」は正気ではないと自覚/認識しないかぎり、正気に戻りたいという衝動も起きなければ、イエス、聖霊を教師とすることの必要性と重要性を理解することはないといえましょう。

それをコースでは、「謙虚さ」という言葉で表現しています。

謙虚さとは、「自分は病んでいる(狂っている)」「何もわかっていない」という自覚です。

その謙虚さがなければコースを学ぶことなどできないと言っても過言ではありません。

この狂気の自分ではどうにもならないと自覚したとき、ようやく正しい心(聖霊/イエス)なしではもはやこの霊性の道を歩むことはあり得ないということが腑に落ちるからです。

そのとき、

なぜ私たちにはイエス、聖霊が必要なのか?

その意味を真に理解するでしょう。

自我の思考体系と聖霊の思考体系との両方を同時に比べて見るとき、

「片方は、狂気で、地獄へと、死へと、導くものであり、もう片方は、正気で、天国、平安、幸せ、喜びへと導くものである」

ということが分かるならば、誰もが正気(後者のほう)を望むに決まっています。

そう、私たちが、いまだに自我(狂気の思考体系)を教師として選び続けているのは、そのことを認識していないだけのことです。

自分は狂気であることを自覚するとき、もはや治療者(セラピスト/ヒーラー)なしで、自分の力で病んでいる自分を癒すことはできないと受け入れられるようになります。

そして、聖霊(イエス)の必要性を認識するようになります。

そういう意味で、自分は狂っているということの自覚は必須なわけです。

自分は自我である、病んでいる、狂気である、と。

「自分は狂気であり、病んでいる」ということを認めていくことが、聖霊(イエス)を自分の治療者(セラピスト/ヒーラー)として招きれるきっかけとなるのです。

その自覚/認識は、私たちが正気の自分(正しい心)を思い出していくうえで必要不可欠なプロセスなのだということを知っておきましょう。


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