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壮大な夢のドラマから目覚めていくために


私たちは壮大な夢のドラマを見ている

自分は何者なのか?をすっかり忘れてしまっている、それが私たちです。

「自分は人間である」とすっかり信じ込んでいて、その人間としての主人公の人生をより良くしようとあくせく生きているわけです。

それが、大いなるジョーク(冗談/嘘)であるにもかかわらず、です。

何のために生きているのか?

なぜここ(この世界)にいるのか?

そんなことに疑問すら抱くことがありません。

それよりも、この世界で、この人生をよりよくしていくことが重要項目だとしてしまっています。

いったい、私たちは何をしているのでしょう。

そのことを自覚していくことがいかに重要なことか、お分かりでしょうか。

というのも、そのことを自覚しないかぎり、どうやってこの大いなるジョーク(壮大なドラマ)から自由になれるというのでしょう。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、その道しるべとなるスピリチュアリティだと言うことができます。

そのためにも、コースの実践では、

それは何のためか?(T-17.VI.2)

と問いかけて見ていくことが求められています。

つまり、目的で見るということをしていくわけです。

その目的は、二つしかありません。

自我の目的か?それとも聖霊の目的か?ということです。

それは、

動揺が目的か?平安が目的か?というふうにも言い換えられます。

そして、目的で見ていくとき、私たちは常に自我の目的で見ているということが自覚できます。

つまり、はじめから動揺するつもりでこの世界を見ているということが明らかになってくるということです。

動揺するために、つまり、苦痛でも苦しみでも何でもいいからこの外側の世界に一喜一憂(動揺)することがその目的であり、それによって、「自分はこの世界に居る、この世界は実在する、自分は人間である、自分は肉体である」ということの証拠とすることができているというわけです。

本当は、この世界は実在していないジョークであるにもかかわらず、です。

本当は、この夢(時空)を作り出した当事者(夢を見ている者)であるにもかかわらず、夢の中の登場人物である夢の主人公を自分だと信じ込んでいたいのです。

それが、私たちがしていることです。

「自分はこの世界の住人である」と信じ込みたいがために、むしろ、一喜一憂(動揺)することを願望しているのです。

それは、まさしく私たちがドラマや映画を観るときの精神力動(心の働き)と全く同じ原理だといえます。

泣いたり、笑ったり、感動したり、、、いわゆる動揺するためにわざわざ壮大な夢のドラマを見ているのです。

私たちが外側の世界に一喜一憂(動揺)し続けているということがどういうことなのか?

というなら、つまるところ、私たちは「無」に対して動揺し続けているだけなのだ言うことができます。

実在しないもの(フィクション)を見て動揺しているわけですから。

つまりは、そこには存在しないものを見て動揺しているということです。

そのような理解(自覚/認識)は、コースの教えを実践していくことを通して体験的に腑に落とされていくことになります。

自分は夢(虚偽/幻想)を見ているだけで、その内容は真実ではないこと(T-28.Ⅱ.7:1)が体験的に理解されていくということです。

そのようにして私たちはコースの実践を通して、イエス、聖霊はこの世界をどのように見ているのか?を体験的に学んでいるのだと言うことができます。

それだけでなく、その知覚の仕方のほうが自然な見方(真の知覚)であることも学んでいきます。

それによって、私たちは歪曲した狂った知覚のほうを信じていることがますます認識されていくことになります。

私たちは、コースの実践を通して、そのようなことを体験的に学んでいっているのだということを覚えておきましょう。


「奇跡」を通して真の自己へ回帰していく

コースを学び、修得していっているのは誰か?

というなら、それは個人の人格を持った「自分」ではありません。

人格(パーソナル)な「自分」などいないのです。

コースの学びが深まっていくとき、そういうことが明らかになってきます。

それと共に、コースの教えを学び修得していっているのは、この世界の夢を作り出した「夢を見ている者」である、ということが自覚されていきます。

夢を見ている者、つまり、「心(決断の主体)」の自分が、ただ夢(妄想/虚偽)を見ているだけなのだという自覚が起きていくということです。

奇跡はあなたを目覚めさせるのではなく、夢を見ているのは誰なのかをあなたに教えるだけである。あなたがまだ眠っている間でも、何を目的として夢を見るかにより夢を選択できるということを、奇跡は教えてくれる。(T-28.Ⅱ.4:2-3)

奇跡講座/中央アート出版社

その自覚が起きていくとき、外側に世界はないということも理解されてきます。

それらすべてが、影、であると認識されていくのです。

そこには、無、が在るだけだと。

他者もいないと。

一つの大いなる幻想が、全一なる虚偽として知覚されます。

そのときこそが、「心(決断の主体)」の自分が自覚されている状態であるといえます。

そして、それを「心を自覚した状態(マインドフルネス)」というふうな言い方をします。

そう、「心を忘れた状態(マインドレスネス)」から「心を自覚した状態(マインドフルネス)」になることを、コース(奇跡のコース/奇跡講座)では「奇跡」と呼んでいるわけです。

コース学習者である私たちが修得していくものとはまさにその「奇跡」でり、それを修得していくことによって私たちは自分が何者なのか?という自分の本性に目覚めていくのだということです。

この霊性の道が『奇跡のコース(ア・コース・イン・ミラクルズ)』と呼ばれているゆえんは、そういうことなのだということを知っておくと良いでしょう。

ようするに、コース学習者の私たちは何をしていくのか?というなら、「奇跡」を通して、真の自己への回帰、つまり、真のアイデンティティーを思い出していくことを目指しているということです。

コースはそのようなスピリチュアリティ(霊性の道)であるということを理解しておきましょう。


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