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愛の訂正、愛の体験/末吉 愛

お読みくださり、ありがとうございます。
ACIMヴェリテの末吉愛です。

幸せと平安のための心の学び、トレーニングというのは、やっぱり楽しいものだなあと感じながら、2024年もお仲間のみなさんと一緒に過ごしています。(昨日は大阪の初期のメンバーの方々と梅田でお茶会をしました♡)

これまでの人生の中で(大して生きていないですけれども)さまざまなことを学んできましたが、A Course in Miraclesの学びはこれまでのどんな学びとも異なっていて、非常に楽しく、これは生涯続けることができるもの——というよりも、学びを継続して12年目になった今となっては(ここまで来るよりも前のどこかの時点から)、わたしにとってこの学びは、“コースを生きる”という意味になっていますが——だと感じます。

わたしにとっての「楽しい」は、真の意味で成長できることに対して感じられるものであって、10代の頃は何をしても誰といても、心から楽しいと思えたことがなく(心の奥底で、その無意味さを感じていたのです)、同世代の人たちが喜んで遊んでいるのを見ながら、時に一緒にそこにいながら、虚しさを覚えたものでした。


3歳の頃から興味があったのは、心理と人間観察でした。人間の心の動き、ごまかしや嘘、本音、あらゆる感情に興味があり、人がそうしたものをどう表現しているのかについて、幼いときから観察していました。基本的には大人が観察対象で、黙って眺めながら、子供なりに色々思っていたものです。自分の心も、わたしにとっては「観察対象」でした。

次に興味を持ったのは、教育です。教育、指導、伝え方というのものに関心を抱き、学校の先生を観察していました(厳密に言うと3歳の幼稚園児の頃から観察していて、自分が先生役、父が園児役のごっこ遊びをしていたそうです)。

観察したり、真似したり、内観したり、毎月テーマを決めて心の探究をしたりしていることが、子供の頃からの「遊び」だったのです。小学生の探究テーマなので、「友達とは何か」とか、「優しさとはどういうもののことか」といった程度のことでしたが。

わたしにとってはこうしたことが「楽しい」のであって、それ以外のことは本当のところ興味がない、という気持ちで、随分冷めていたなと思います。あとは推理小説を読んだり、詩を書いたりして過ごしていました。


今思うと、「末吉愛」は特にあまり変わっていない気がします。観察、内観、心のテーマについて深め、内なるガイドに質問し(これも小学生の頃から続けていることです)、気づきやインスピレーションを受け取り、洞察が深まる。小学生の頃から40代の今に至るまで、やっていることがずっと同じで、なんだかおもしろく思えます。こうしたことにしか興味がないらしい。笑


ア・コース・イン・ミラクルズ(『奇跡のコース』/『奇跡講座』)に出合い、30歳から学ぶようになったのですが、小学生の頃からやっていた観察や内観、洞察を深めること、心のお題に取り組むことの奥行きがやっと感じられるようになり——心の底から“学び”たかったことをやっと学べるようになり——、いっそう深く“答え”を受け取れるようになったことは、だからわたしにとって、喜びそのものとしか言いようがないのです。

ACIMの教えに抵抗を覚えたことは何度もありましたが、それでも辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。「やることになっている」ということを、分厚いテキストを初めて書店で見つけて手に取った日にはっきりと感じたので、なんだかわたしには学習することは「確定事項」という感じで、「続ける・続けない」という考え(選択肢)は、端からありませんでした。

ここまで続けてこられたのは、1つには、コースの学びというのは、愛に満ちた内なるガイドによって“訂正”してもらえるものだからであり——これが何より子供の頃からわたしが欲していたものでした——、内なる教師、ホーリースピリットによる“愛の訂正”を受け入れるというのは、“愛の体験”を受け取ることでもあるからです。

“愛の体験”というのは、個人的なものではなく、誰かと一緒に受け取れる贈り物のことです。ここに喜びを感じられます。というより、ここにしか喜びを感じられることはありません。誰かと一緒に心の繋がりを、スピリットの麗しさを、経験できます。

 

興味のあることは昔から変わらないけれど、見える世界は逆転しました。”答え”を見つけたからです。小さい頃から疑問をたくさん抱えていました。毎月の心のテーマに、自分なりの答えを出すということはできても、「とりあえずの答え」であって、解決はしていなかったのです。

中高生になっても、大学生になっても、社会人になっても、わたしの心には疑問がたくさんあって、解決はしていませんでした。わたしは“答え”を探していました。

見つからなかったのは、あるはずのないところで探していたからだということを、ア・コース・イン・ミラクルズに出合って知りました。そして、“問題はすでに解決している”ということも、認識できるようになりました。3歳の頃からの探究を思えば、わたしにはもうこれだけで<奇跡>だと思えます。

 
誰もがすでに内側に“答え”を持っています。
世界のすべてのことに対する”答え”です。自分のことや身近な人のことだけでなく、世界中のあらゆる問題に対する“答え”を、です。

この”答え”が何かということを思い出すためには、完全に思い出すためには、何度も“愛の訂正”を経験すること。
自分のありとあらゆる価値観、個人的なものの見方、解釈、信念、知覚は、すべて間違っていたのだということを爽やかに認められ、心の平和と静かな喜び、あふれる感謝を感じられるほどの美しい経験を受け取ること——。

これが、A Course in Miraclesの学びのプロセスであり、この喜びは人々と分かち合われるものであり、拡がって、延長されてゆくものなので、これが楽しくないわけがないのです・・♡
 

“答え”は、すでに与えられています。
問題はすでに“解決”しています。

コースを学んで得られるのは、このことに対する確信です。二度と疑うことはありません。蘇った記憶は、二度と失われることはないのです。

<蘇り>もまた、共有されるものなので、今日も明日も明後日も、わたしは確信のうちにとどまっていたいと思います。

“結果は確実です”。

Blessings,

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