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死にたさの地平で

死にたいと思い続ける日々から抜け出たのは
いつだったろうか
死にたいと思い続ける日々に陥ったのは
何がきっかけだったろうか
思い出せない
気がつけば死にたいと思っていたし
気がつけば思わなくなっていた
死にたさはいつでもそこにあって
きっと目に入っていないだけなのだ
手をふれていないだけなのだ
歩道の脇にもテーブルの下にも
浴槽の隅にも換気扇のフィルターにも
もちろん 会話の端々にも
きっと死にたさはあって
私が反応するかしないかの問題
橋に向かうかどうかも
包丁を握るかどうかも
きっとほんの少しの踏み込みの話
私が
橋から
身を投げていないのも
包丁を
腹につきたてていないのも
数センチの 数ミリの
心と体の動きの差でしかなくて
もしかしたら
ただの偶然であるかもしれなくて
それなら
私は
数十回数百回の偶然の末生き延びてしまっただけの命で
生き延びた末に
いまは
死にたいとは思っておらず
偶然を生き延びなければここまで来られないのか
死にたさを越えるためには渦中に飲み込まれなければならない
飲み込まれたら潰える可能性さえあるのに
それを越えなければ
安寧はやってこない
世の中には
死にたくならないひともいるのだろう
もうすでに
そういう生き物になってしまったのだ
死にたさを抱える生き物になってしまったのだ
きっと
一生
いつくるかわからない死にたさに怯えながら
いっときかもしれない平和に安心しながら
生きていくしかないのだ
私たちはもう
死にたさを
死にたいという世界を
知ってしまったから
抱えてしまったから
とうてい受け入れられない世界さえ
自分の一側面だと受け入れられたなら
ともすれば
二度と 死にたいと
思わずに生きていけるかもしれない
そうは ならないかもしれない
けれど けれど
いま 死にたさを抱えるひとも
そこを越えたひとも
みな
生きている
生きている
死にそうになりながらそれでも縋って
生きている

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