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同一体(アキラル)としての価値観

 価値観は、今生きる自分の存在証明なのです。
 そんな話をします。
 ちょっと長いです。

 被災者の方々を蔑ろにした内容ではありません。
 僕は戒めをこめて、10年と1日後に話します。
 これは、僕自身の未熟さの話です。

 あの発生当日。
 被災の中心部から逸れた秋田の田舎の話です。
 僕は大学3年の春休みでした。
 停電、断水、ガスは駄目。雪まで降ってくる。
 家族寄り添って、大変なことになっているとだけ分かった夜。
 ラジオから流れてくる気仙沼の火災の話。


1日後です。

 断片的な情報のみ、不安からの夜明け。
 ガラケーの充電も厳しい状況。
 仙台戻れるのか?(GW過ぎまで大学休校。)
 学生会長大丈夫か?(その後、無事判明。)
 混乱の中で、途切れながらの情報から現状がわかり、僕らが生活ですることが見えていきます。

3日以内です。

 能代の変電所が頑張ってくれました。
 ライフラインは、戻りつつありました。
 しかし、モノがない。 甘いパンしかない。 ガソリンスタンドの列。

 まだ僕は生活中心が仙台の学生です。
 通院やコンタクトレンズは置いておいて。
 情けないことに、メンタル的に参ってしまった。

 この被災中心部との距離感が苦痛でした。

 東日本エリアでも、あのときの秋田(僕のいた場所)は被災地だと今でも思いません。
 関東圏で地震の落下物でケガをされた方を、あの時期のネットで見ました。
 やはり、あの時ネットにいた人は、あなたは被災者ではないね、とおっしゃっていました。

 たぶん今思うと、あの時の僕の心中は、疎外感からの僻みがありました。
 この距離感の苦痛は、なかなか学生の僕には理解出来ていない謎の気持ちでした。
 這ってでも被災者を助けに行けよ……と今なら思います。
 ですが、メンタル負荷で苦しんでいた僕は、たとえ何度あの時に戻っても、余裕のない自分を優先してしまうでしょう。

5年後の秋。

 社会人何年目だっけかで、秋田の実家から久慈に行きました
 偶然かもしれませんが、その時も心が病んでいました。
(ポケモンGOのラプラスイベントです。)
 140km程度でしたが、車を運転するには難易度は高めな道でした。
(道は直っていましたが、当時の僕は長距離運転ビギナーでした。さらに今でも車の運転は苦手です。)

 綺麗に整備された街を見るのは、第一歩の輝かしい気持ちと、同時に申し訳ない気持ちもありました。
 折り合いつかなかった気持ちと和解し、なぜ、もっと早く現地に行き、お金を落とさなかったか。
 何年間も、東北の復興に携わらなかったことをとても後悔しました。
 一度渋ると
何もしないまま、時だけが過ぎて行きます。

10年と1日後。

 そんな、どうしようもない愚鈍な僕でも、月日の経験値が積み重なります。
 住む秋田と、仕事をすることは、大切にしていきたいと、ようやく2021年3月になって至りました。

 1日後、3日後、5年後、10年後、ノロマな僕でも前向きか分かりませんが、価値観を毎日更新していきました。
 生きることも、働くことも、飯を食うことも、毎日のことは、すぐに大きな成功にはならないし、地味に泥水の中を進みながら小石を集めるようで、特別美しくありません。

 そういう環境を受け入れるも、受け入れないも、僕個人の価値観次第です。

 おそらく、今から3年後、5年後、10年後の、未来の僕はまた違う価値観を持つでしょう。
 過去も今も未来も、マイナスもプラスも、同一体(アキラル)なんだと言える自分ではありたいですね。

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