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「持たざる者のオトアソビ」

蔦縁ヨウ
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耳馴染みのいい音を選んで拾って並べて
そこに意味はなくて

「形から入るタイプなんです」と見栄張って
そこに中身はなくて

天才サマになれっこないと拗ねていじけて
君に嫉妬しかなくて

基本の「き」の字もめんどくさくて
なんだかもうどうでもよくなった

流行りだとかセンスだとか夢だとか
努力だとか才能だとか

「持たざる者」には関係ないから
届かないなんてわかってんだよ

それでもさ やっぱりさ
諦めたくないなって思っちゃうからさ

どっかの誰かに刺さればいいって
思って歌う 僕を許して


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中学生の頃、ノートにオリジナルの歌詞を書き留めていたことをふと思い出しました。若気の至りというか、ただそれっぽい言葉を並べているだけのもので、その歌詞で伝えたいことなんて特になくて、正直今見ると恥ずかしくなってしまうようなものばかりです。

そのときのこと、ぼんやり考えてたらこんな文章になりました。
せっかくなので、メロディはないけどリズムにのせてみました。
音声投稿をね、やってみたかったんです・・・!

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共感できる歌詞に出会うと、嬉しい反面、ちょっと悔しくなってしまう時があります。「何を食べてたらこの言い回し思いつく頭になるんだろう」とか、「これもう天才の発想だよなぁ」とか。noteでも似たような思いをすること、ありますね。「私まさにこれが言いたかった!!」って。文章読んで画面の前でめちゃくちゃ頷いてて、でもそれは自分の言葉じゃなくて。この表現を思いつくようになるには、どうやって生きていけばいいんだーーーって悩みます。

すごい!ってものに出会った時に、どこかで「この人は才能があるから」とか、そう思いこむことで、できない自分を正当化しようとしてみたり。
バズったりとか、有名になったりとか、そういうのは「持ってる」人だからでしょ、って、思う方が楽なのかもしれません。持ってない自分が見つけてもらえないのは「仕方ない」って思っちゃうほうが、これ以上頑張らなくていい気がして。

でも、そのまま終わるのはやっぱり嫌だから。
有名人でもない、ごく普通の、大多数の、どこにでもいる、そんな自分でも、言いたいことがあるわけだから。どこかで誰かに刺さってくれたら叫んだかいがあるのかなって思いながら、やっぱり歌い続けるんだと思います。

別に許可なんていらないはずなのに、歌い続けることをどこかで許されたいと思ってる自分もいるのがなんとなく、面白いなぁって。


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https://note.com/yanagingin/n/nfcd5ce5b1529

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ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。何かあなた様の心に残せるものであったなら、わたしは幸せです。