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救いとか癒しは自分で取りに行く派

タイトル画像はいま作ってる曲の作業エリアです。いつも通り暗い感じの曲ができるよ~


今もなんだかんだと毎日もやもやすることはありますけど。

2000年代前半はしんどかった。自律神経が弱くなってて、朝吐き気とかだるさと血の気のなさで起きられないし……仕事が午後からだったからよかったけど、自分の作品を作るために午後からの仕事をしてたわけで、何にもできてないという状態はさらに私を落ち込ませた。

そのうえ仕事で行った出張の途中で倒れてしまい、その経験と普段の具合の悪さからパニック障害が発症して、現在もまだ完全に治ってないのですよ……

病院には通ってたけど、病院の選び方を間違えて、私はそこの病院に来る人の中では軽すぎる病気だったみたいなのですが、でも先生たちは毎回話を聞いてくれたんだよな……拒否されるようなことはなかったのも救いだったかもしれない。行くたびつらいつらい、しんでしまいそうですと言いながら泣いてたけど……

そっか~、お薬のんだりしていいから休んでね~、また来てね~って言われてたのはうれしかったな。病院に通ってるっていうだけでも気持ちの支えになるというか。

しんでしまいそうです、というやつは本当に繰り返し来て、

朝方カーテンの下から差し込んでいる5時の朝日を見つめながらこの部屋の、3階の高さを考えてみたり、窓に寄ってはいけない、窓を開けたら最後だというような気持ちと毎日地味な戦いがあった。


そこで、私をとどまらせている言葉があって。

残念ながらここにはかかないけど。私を救う言葉、誰かが否定したり「そんなんでもない」「でも」とか言い出したらあっという間に壊れてしまいそうな言葉だからおすそわけができない。


その言葉はすごくつらかった時に偶然、いつも読んでいた某テキストサイトで見かけた文章に書かれていた。そのテキストを書いた人のことは「面白いなあ」と思って好きだったし、その人は心の専門家でもある。

Twitterでその人に再びであって、一方的にツイートをフォローしている。何を食べた~とかどこへ行ったとか何を読んだとか、そういうのを今でもその人が増やしていっているのを見ているとなんだか心がホコホコする。

その人に直接好きだ!とかあの時はあなたのおかげで!今もあなたのおかげで!とか言うつもりはないけど、ネットのつながりって不思議だなあとその人の日常を垣間見るたびに感じる。


最近のつらいことも、癒しや救いになる言葉は、周囲の人にかけられることを期待せず自分で探しに行くことにしている。周囲の人に癒しを求めて勝手に「癒されない」「なんか違う」って思うのも失礼で申し訳ないし今後も付き合っていきたい人ならなおさら……

都合のいい言葉を集めているだけだとしてもそれでいいじゃないか。

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