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冴えない、卒業式

3月になって卒業式のシーズンらしい。私にとってはだいぶ前の話だし、いい思い出もほとんどないな。

【保育園】

保育園のことはあんまり覚えてない。途中から入園して1年以下しか行ってないし、他の子どもとのふれあいが苦痛で休んでばかりだったし。そして保育園は廃園になって今はもうない

【小学校】

小学生のころはいじめられていて、友達はいたんだけどつらい思い出のほうが多い。5年生、6年生の時は先生にいじめられていたから、卒業式は「もう先生に会わなくていいんだ」と思ったら晴れ晴れとした気持ちになった。

同級生はどうせ中学がおなじだからそっちの寂しさは無かった。

小学校の卒業式の日、式のあとでご飯を食べに行こうという話になった。クラス全員でも24人しかいないし、親と子どもたちで街の数少ないレストランへ移動することになった。

同級生は皆仲良しで、でも私は誰とも一緒におれず、大人たちと一緒にいた。レストランには大人たちと、こどもは私だけで先に向かった。

「先に注文しておきましょう。阿智ちゃん好きなものを頼みなさいよ」誰かのお母さんがそう言ってくれたので、「ハイ」みたいなことを言って、好きなもの……グラタンを頼んだ。

そうこうしているうちに同級生たちもみんなやってきて、ワイワイ騒ぎながらイスに座った。

「オレハンバーグがいい」

「わたしも~」

気づけば全員がハンバーグを頼んでいた。
届いた料理は私だけがグラタン、ほかの子はみんなハンバーグ。
「あれ、なんで阿智さんだけグラタン食べてんの……へんなの」
近くに座った男子に指摘された。妙にやるせない気持ちになった。

小学校はもう廃校になってしまって、いまはない。

【中学校】

中学は小学生のころに比べたらずっと楽しかった。でも一部の同級生とは仲良くなれなかった。好きな人とはすごく仲のいい時期と、「消えろ、汚い」とまで言われる時期が交互にやってきて、私はずっと混乱していた。

担任の先生とは仲が良かったし、一緒にいて楽しいクラスメイトもたくさん増えたから「この日常」が卒業によって消えることが寂しかった。

遠くへ行くわけではない。みんな近所に住んでいることも変わりはないのに「同じ学校へ登校して、意識しなくても顔を合わせる毎日」がもう終わってしまうのだ。

卒業に当たって、クラスの人々のことを匿名でひとことずつ書いた作文を担任に見せたら「阿智さん、これを式のあとのホームルームで読んでくれないか」と言われた。

当日は、式が終わり、卒業証書を持って教室に帰ってきた同級生と親たちの前で、その作文を読んだ。

式の後の食事会で、同級生のお父さんが酔っぱらって「阿智ちゃんの作文、感動しちゃったよ。おじさん泣いた。息子の保育園の卒園式以来に泣いたよ」と何度も言ってくれたことを覚えている。

【高校】

高校生活は楽しかった。私の学生生活で一番楽しかった。

中学までは、私がちょっとズレているところを「みんなと同じじゃない」と指摘されてはいじめられたり距離を置かれるという状態が続いていたけど、高校では初めて「ズレてて面白いね」などと声をかけてくれる友人がたくさんできた。よくわからなかったけど確かに私は認められたし、バカにされているわけでもなく、対等に楽しく過ごすことができていたと思う。

好きな人はちょこちょこ変わってずっといたけど、特に彼氏が出来たりってこともなく(二回ほど両想いになったことがあるが、私の気がすぐに変わってしまったので特に付き合うということがなかった)、高校2年になるころには無理目の人気者を好きになってしまったせいで、ずっと片思いをしていた。

卒業式の日は彼を探した。私は卒業式が終わったら、遠い場所へ進学で引っ越すことが決まっていた。「これでお別れだからハグしてほしい」とお願いしようとたくらんでいた。そしてそれがたぶんバレていた。

いつもならいそうな場所や集まりを探したけど、結局 彼には最後に会うことができなかった。3月下旬の彼の誕生日に「お誕生日おめでとう、わたしもうすぐ引っ越すんだ」と伝えようと電話をかけると、彼が出たのに
「いまいません」と言われた。

その高校はいろいろ変わって、ほぼ廃校と同じぐらい跡形もない。いや、校舎はあるんだけどもう名前が違う、別の高校のキャンパス扱いになっているのだ。


冴えない。

私の卒業の思い出、冴えないな。

その後始めたいろんなものや、趣味や人付き合いに、「卒業」の二文字を感じたことがない。
卒業なんて必要なかったんだ。続けよう。私は今の学びと所属で、卒業せずにとことん学んでいいんだ。大人は素晴らしく楽しい。

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