何故カラ松はライダースジャケットが似合わないのか
ライダースジャケットが好きです。
あの、襟。一見どこにあるのかわからないジッパー。シルエットは一見軍服のようなのに、隷属なぞは微塵も感じさせないアンビバレンツ。
武装戦線みたいなイカつい兄ちゃんが着てるのも良いし、イケメン俳優みたいな好青年が着ててもいい。年季の入ったおっさんが着ているのもシビれる。
若い女子がファッショナブルに着ているのもかわいい。峰不二子がセクシーに着こなしているのもいい。スレた女子高生がセーラー服の上に羽織っている様なぞいとをかし。
ロックバンドのにいちゃんが、着ているさまなぞはた言ふべきにあらず。
それで、ファッション界は2016年春のトレンドをライダースジャケットにしようとしているところ、ある。
もう、ファッション系ツイッターがちょいちょいライダースジャケットの着こなしとは!?っていうのガンガン流してくる。なんかベーシックアイテムとか言ってる。
5月に渋谷歩いてたら、何人もの若い兄ちゃんがライダースジャケット着こなしてた。
拝んだ。ありがとう、世界は慈愛で満ちている。
でも、そんなトレンディなアイテムと化しているライダースジャケットなのに『似合っていない』ヤツがいる。
みなさんご存じ、六つ子の次男坊、カラ松である。
なんだか、トレンドトレンド言ってますけど。ヘルシーな雰囲気がマストとか言っておりますけど。
彼の着こなしと来たら、ブルージーンズに白いタンクトップ、挙句の果てにドクロのバックルベルト、だなんてそれはまごうことなきライダースジャケットの正統派、ロッカーズの着方なのである。
ロッカーズっていうのはごらんのとおり、なんだか硬派な連中だ。そしてなかなかイカつい。そんでもってワイルドな感じ。
それは、元来英国の若者(そう、個性なき労働階級者)だった彼らが『ワイルド・ワン』というアメリカの映画に憧れて、ライダースジャケットという個性を羽織った姿だ。最初こそアメリカの真似事だけだったかもしれないけれど、やがて英国の美学と結びついて彼ら独自のものになっていく。
英国で、上流階級だけのモノだったファッションを、ストリートに落とし込めたのは彼らの世代がはじめだったのだ(もうひとつ、テッズっていうのもいるんだけど)
そんなロッカーズの恰好は、現実はともかくとしても、作品の中やアイコンとして着させるなら、それは『男の中の男』が似合う。
ロッカーズたちが憧れたのが、『ワイルド・ワン』のマーロン・ブランドのような、一匹狼な……孤高の……たったひとりで戦闘機の中にいる……そんな男だったからだ。
そう、例えば
武装戦線とか
横浜銀蠅とか
YAZAWAとかである。
ライダースジャケット、それはどこかワイルドで、無骨で粗野な男を表す服なのだ。
それに引き換え次男ときたら。
いや、これはカラ松が悪いのではない。実は、カラ松は本当にこの『戦闘機の中にひとりっきりで乗っている感じ』を体現しようと、自分自身で演出している。
でも、それが全部カラ回り(カラ松だけに(爆笑)しているのは、ひとえに彼のいる環境による。
ライダースジャケットはロッカーズの制服である。生まれながらの労働階級、行き場のない怒りを抱えた若者が、孤独を寄り添い集まった。そんな彼らと同じ服を着て、カラ松と来たら孤独じゃない。
もう、なんかおんなじ顔が六つある。
生まれながらの六つ子、働く気のない自意識だけ抱えた若者が、自堕落を寄り添い集まった。
そして決定付けるように、この六つ子コミュニティのリーダーであるおそ松が、ことある事にカラ松のそれっぽい演出とか、服装とかを馬鹿にする。
お前、それは『松野家』というチームには似合わないよ。
っていうか、おそ松さんに似合わないよ。
どうだ、あのおそ松さんの圧倒的チャーミングなポップさは。なんか主線が紫色だし、カラフルでかわいらしいデフォルメされたデザイン。それでいて毒のある関係性。
どこまでもロッカーズの美学と真逆なアバンギャルドさ。
その中で、ライダースジャケットにジーンズのカラ松ときたらもう異質。彼が妙に作品内でいじめられているのは、なんか世界観と別の世界に憧れているからじゃないかと思う。
だから『いたい』のだ、と。
おそ松がそれにも増して、カラ松の服を馬鹿にするのは、彼を『一匹狼でいるべきファッション』を認めてしまったら、本当にどこかに行ってしまうからじゃないか、と思う。
馬鹿にすることで、『お前、お前にそれは無理だよ。孤高になるなんて。そんなダサい真似やめて六つ子でずっと一緒にいよう』と語りかけているのだ。松野家の制服である、松マークのパーカをずっと着ていればいいのに。
しかし、そんな圧力にも負けず、カラ松はライダースジャケットを脱がなかった。
わたし、思うんです。でも、それでも脱がないんなら、それはそれで似合ってるな、って。
だって、兄弟どころか、世界観から拒絶されている服ですよ。世界ですよ。世界を敵に回してもジャケット着てるんですよ。
むしろライダースジャケット着る時なんか、世界を敵に回してナンボですよ。
『手紙』でイタい行動という個性を脱いだ時だって、ライダースジャケット着てたじゃないか。
ロッカーズが憧れたのは、『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンのような、『ワイルド・ワン』のマーロン・ブランドのような、イカついけど、実は芯が通ってて優しい、みたいな男。
馬鹿にされてるけど、実はうまいこと兄弟に気を使っている優しい彼にだって、本当は似合っていたっていいと思うのだ。
それとも、『似合わない』ことこそが優しさなのかもしれないな。
でもさ、スパンコールのパンツ履いてみたり、自分の顔プリントのシャツ着てみたりとか割とセンスがデヴィッド・ボウイ。
ロッカーズじゃなくって実はグラムか?
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