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今日も、また。

季節外れのイチョウが黄を彩り、太陽光を反射している。足元には潰れた銀杏が落ちていて何とも言えない匂いを放つ。独特な匂いは鼻に張り付き、苦い表情にさせる。まるで、僕に未練があるかのような錯覚を残して、いつしか匂いは無くなっている。
そんな冬のある日、僕は忘れられない人と決別した。

僕は冬になるまでの季節の流れが好きだった。次第に服に重みが増していくから。その重みの積み重ねが僕の心の何かをそっと埋めて安心させてくれる。スウェットを一枚頂戴。次はカーディガンでも羽織ろうか。流石にコートを取り出そう。そんな日常が僕に感覚というものを与えてくれていた。

けれど、今年はそれが無かった。夏からいきなり冬になってしまった。服の重みは一気に増して、肩が疲れるだけだった。少し寂しさを感じて、タバコを吸った。寂しい時に吸うタバコは良い。やけ酒と似ているといつも思う。唇につくビールの泡が全て洗い流してくれる、あの感覚。タバコの煙にもそんな役割がはある、僕にとっては。

いつも一緒にタバコを吸う人がいた。忘れられない人。そういえば、服の重みって良くない?と言っていたのもその人だったっけな。不思議な人だった。僕とは違って、自分を持っているはずなのにそれに囚われてるように見えた。喉から手が出るくらいに僕が欲しているものなのに。
ドイツの哲学者ショーペンハウアー曰く、「我々は、他人と同じになるために厳しい自己放棄によって自身の4分の3を捨てねばならない」らしい。自分をしっかり持っている人間ほど苦しめってか?ひどい話だ。僕の目には魅力的に、、、いや、そんなことを今更思い返して嘆くのは時間の無駄だ。だっていくら思い返したところであの人はもう会うこともないだろうし、心を通わせることもできない。想いなんてものは心の端っこに1人で座らせとけばいい。仮にそれが立ち上がることがあったとしても、今がその時でないことだけは確かだし、そんなことがあれば僕はきっとどうにかなってしまうだろう。帰り道で見た野良猫を蹴ってしまうかもしれないし、駅のホームで待つ人の背中を押してしまうかもしれない、思い切ってその人に会いに行って柔らかい身体に包丁を突きつけてしまうかもしれない。考えれば考えるほど時間を忘れ、現実から離れ、物思いに耽り、あの人を拒絶してしまう。全て無駄な活動なのだ。過去の産物は全て嘘となって僕に襲いかかる。それらのことなんて当時いくらでも考えたし、もうどうでもいいと言ってしまえばそういうことなのかもしれないが、それでも。思慕たるものだ。あるいは執着。もしかしたら、その人が銀杏のような人で僕の頭の中にこびりついているのかもしれない。銀杏臭に対する妙な嫌悪感はそのせいか。そしてまた今日も、銀杏は足元に落ちている。
僕はそれを一つ踏み潰す。

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