母からの電話に折り返さなくなった。
気力が十分にないときは、母と話したくない。
いつからそうなってしまったのか。
確か、7年前に次男を産んだあと、育児の話や、ママ友とのちょっとしたモヤモヤを聞いてほしいときには、母に電話することが多かった。
しかし、母は当時忙しく働いていて(今も働いているが)、なかなか時間が合わず、あまり思うように聞いてもらえなかった記憶がある。
なんとなく、その時のことを根に持っている自分がいる。
最近は、母から電話が来ることが多いのだが、「今更何だよ」という気持ちになってしまう。
話す時間がもったいないと思ってしまうこともあるほど、今はたぶん、私の方が忙しい。
話したら話したで、1時間以上話し込むこともあるのだが。
母への感情は、なんとなく複雑だ。
どこか、「母親の見本でいてほしい」と思うのに、それが少しでも噛み合わないと、向き合いたくない、と思う。
母の老いや、いつまで母は一人暮らしを続けられるだろうかという漠然とした不安からも目を背けたい。
いや、向き合えない一番大きな理由は、母が、新興宗教に傾倒していることだろう。
悩みや、体調不良を伝えれば、入信を勧められることもある。
だから何も言えなくなった。
第三子妊娠中も、元気な子を産むためにも、と入信を勧められて、怒りに任せて電話をガチャ切りしたことも。
断ったときの残念そうな表情や声にもイラつく。
愛情深く、子煩悩な人ではあるので、
「お母さんは、宗教さえやってなければ最高なのにね」と、兄とは何年か前からよく話す。
元はと言えば、兄が荒れて高校を中退したことで、母は宗教に走ってしまったのだが…。
その後も父の失業、別居、母の弟の急逝など、耐えがたい試練が次々と訪れたことも、拍車をかけたのだと思う。
そんな母に、寄り添いたかったのに。
母の人生に影を落としていった黒いしみのようなものを少しでも薄めてあげたいと、20年以上、ずっと思っていたのに。
私も家庭を持ち、自分の家族とのペースもでき、そして時々入信を勧められるようになって、うまくいかなくなってしまった。
母は、家族の幸せを神様に祈っているらしいが、その宗教のせいで、娘から距離を置かれているなんて、本末転倒だとは思わないのだろうか。
だけど、母が幸せならそれでいいとも思う。
母の信仰を尊重するから、私がその宗教を信仰しない自由も尊重してほしいと何度か伝えたことがある。
せっかく親子として出会えたのに、信仰のせいで壁ができてしまったということに、どうしようもなく悲しくなることがある。人生とは一体なんだろうとも思う。
まだ教わりたいこと(着物の手入れとか)を訊いたり、一緒に美味しいものを食べに行ったり、ただ、母との時間を楽しめる日が来たらいいのに。
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