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心配のしすぎは相手に失礼だと思った話。

先日、あるママ友に近所のスーパーでバッタリ会った。
彼女とは、第1子同士が同じこども園の同級生で、今年の春から小学生になった。
第2子同士も、学年は違うが同じこども園に通っている。

私はそのママ友のことを心の底では信用していないのだが、便宜上、表面的には親しげに振る舞っている。

私はそれを『ママ友営業』と命名している。

なんとなく敵に回したり恨みを買うと面倒そうな相手。遠巻きにしたいのに、なぜか寄ってくる相手。

彼女はきっとフレネミーだと思う。

(彼女からしたら、私もフレネミーになってしまうのかな。でも私は敵意などないし、できたら関わらずにいたいと思っている)

そういう面倒な相手と関わらずに済むためにも、仕事を始めて良かったと思っていたのに。まぁご近所だから仕方ない…。

『久しぶり、元気?』
と聞かれたので、無難に
『うん、まぁなんとかやってるよ』と答える。

『元気だよ!』なんて答えたら、彼女はきっと面白くないだろうなと、私は不要な先回りをして、相手に合わせて無駄な応対をしてしまう損な性格である。そして帰宅後疲れる。

『寒くなってきたし、次男ちゃん(4歳)も長女ちゃん(1歳)も風邪引いたりしてないかなと思ってたんだ。大丈夫?』
『うん、大丈夫だよ。ありがとね』

『長男ちゃん(7歳)も元気?学童に行ってるんだよね?コロナが1人出て休所になったりしてたけど、長男ちゃんは大丈夫だった?ちょっと心配だったの』

『…うん、全然元気』
(子どものことについては気を遣ってネガティブなことを言うつもりはない)

『そっかーなら良かった。心配してたんだよ。LINEもしようと思ってたんだけどさ』

そこまで聞いて、私は不快感がムラムラと湧き上がってくるのを感じた。顔には出さないよう努めたが、もしかしたら微妙な表情になっていたかも。

心配されるって、本来嬉しいことじゃないんだっけ?

お約束通り、帰宅してからモヤモヤする。

なんだろう、何が違うんだろう。
彼女は普通の友達ではないんだけど、そこを差し引いたとしても、変なこと言われたわけでもないのに、この苛立ちは一体なんだろう。

他の友達だったら、きっとああは言わないんだよな。

彼女の心配の内容は具体的なんだよな。
だから心配というよりも、そうなってたらいいのにと願われているみたいに感じてしまう。

帰宅した夫に話すと、
『彼女は本当に心配しているんじゃないかな。彼女はあまりコミュニケーションが得意じゃないからそういうふうに思われちゃうだけなんじゃないの』

(夫は内向的でありながら、ネアカなのだ。そしてドライで他人に興味がない。)

頭の中で、仲の良い他の友達が同じように発言している場面を思い浮かべてみる。
すごく違和感がある。
それでやっと気づいた。

『風邪やコロナが流行ってるけど、子どもたち元気よね?お宅の子なら大丈夫だよね』って仲の良い人ならきっと言うだろうし、私も好きな人たちに対しては、そう思ってる。

『あなたなら大丈夫だよね』
って思われること。

なんだか、全てまるごと信じてもらえてる幸せがそこにあるんだ。

それから私は、子どもたちに対して『ほんとに大丈夫?』と心配しすぎる癖をやめようと思った。

あなたなら大丈夫って信じてるよ。という思いが心の支えになって、本当に心配のいらない状況を作り出す気がしているから。もちろん自分に対しても。


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