見出し画像

クリスマスイブにギブ!「才能」をのせて走る。

なんかよくわからないダジャレのような、ポエマーのようなタイトルを、思いつくままつけてみてしまった。

今年は、いつになく、精神的に、ジタバタドタバタした1年だった。感情も使いすぎたような。
そんな自分へ労いを込めて、自分にプレゼントでも贈ろうかと思う。言葉のプレゼントを。

忘れもしない、今年の1月11日。
初めてコーチングというものを受けた。

コーチングを受けたい、と思ったわけではなく、この方とお話をしたら、自分に必要なものが与えられそうだ。ただそう思って、確か去年の12/30くらいに、申し込んだ。

衝動的というのか、本能的にというのか。
あまり深く考えずに、気づいたら申し込んでいた、という感じだった。 

この1年間、必要なタイミングでセッションを受け、私の人生はゆっくりと、また回り道、寄り道もしつつ、だけどこれまでとは違う方向へ加速したように思う。

先日、今年最後のセッションを受けた。

その際、次のような言葉をいただいた。

「知子さんは、noteのコメントで、相手へ温かい言葉を贈っている。ギブ、してますよね

嬉しかった。
ギブしてる、なんて感覚はなかったけど、そうかぁ、そんなふうに捉えて、そんな言葉にしてくださるなんて…と感激した。

私はコメント欄への思い入れは強い。
想いが間違いなく、誤解なく伝わる最善を尽くして書きたい、せっかくなら、前向きな表現を探して書きたい、と思っている。もちろん嘘は書きたくない。あ、ただのツッコミのときもあるか!

さらに、そのあとに言われた言葉が想定外で、驚きとともに、さらに心の杭に刺さって、じわじわと、私の中に問いを残してくれた。

「知子さん、そんな温かい言葉、自分にかけられていますか?ご自分の才能を受け取っていますか?

from風井麻希さん

才能を「受け取る」…… ?
私は受け取っているのか?
いや、受け取っていない気がした。

私はもしかしたら、自分の才能には「気づく」ことはでき始めているのかもしれないけれども、「受け取る」ということはできていないような気がした。

だって、やっぱり、
このままじゃダメだ、足りない、何かで補わなければ、何か資格が欲しい、何らかのわかりやすい数字の実績、権威性もないに越したことはない…

そんなふうにどうしても考えてしまうところがあるから。

そして自分を卑下する言葉は、豊富に取り揃えている。

セッションでそんな問いを得てから数日経った今日、ふと、今までになかった気づきが降ってきた。

人に何かを与えながら、自分も何かを与えられる。そんなふうに、人に何かを与えながら消耗するのではなく、同時に自分も何かを得る働き方、仕事があるんだろう。それに気づいた人から、もう始めている。
きっとそんな仕事が、誰にでもあるはずなんじゃないか。でもそんな仕事に巡り逢えている、気づけている、築けている、創り出せている、そんな人たちは、一握りなのかもしれない。
才能のある人が一握りなんじゃなくて、才能を受け取れている人が、一握りなんじゃなかろうか。
そして、誰だってそういう仕事に出逢いたいはず。もちろん私も。

脳内でブツブツ呟いていた

ということはだぞ…。

まず自分の才能を受け取れていないと、それを使って人に何かを与えるということはできないのではないか。たとえ才能に気づいていても、それを受け取れていなければ、手元にないわけだから、人に与えるなんてことはできないよな。

そんなことを今日、携帯の機種変に訪れたイオンの駐車場でなかなか空きが見つからず、ぐるぐる廻っているフリードの助手席で、ぼんやり考えていた。

もしかしたら、こんな言葉たちを、どこかで読んだか、聞いたことがあったかもしれない。あったような気もする。
だけど今日、初めて頭の中で自発的に発され、初めてしっくりきた。

私の使命を果たすためには、サンタさんがソリにプレゼントをのせているように、私も才能をのせて、配りたい。そのためには、私が受け取っていなくちゃね。

だから今宵、自分が受け取れていると思える才能を一つ、言葉にして自分に贈る。

あなたに出会えた人は幸せだ。
だって誰かを心から応援して、幸せを願う、それを表現しようとするのはあなたの才能だから。

from長橋知子  

朝、起きたら、子たちも私も、プレゼントを受け取って大はしゃぎしているだろう。

メリークリスマス🎁🎄🎅

スキとコメントが何よりの励みです!