言葉と想いの間に、もう一つ、何かあればいいのに②
PTAの仕事の業務軽減を目指して頑張った自分と、簡略化された行事を嘆くママ友との間のコミュニケーションの壁について、昨日、記事を書いた。
「超大変だったのに、なんでわかってもらえないんだ」と憤りとやるせなさを感じた私だが、その翌日、全く逆の立場になってしまったような出来事が起きた。
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「先生、この子、もうオムツなしで、パンツだけでいけそうですかね」
私の娘(3歳2ヶ月)は、こども園の年少。
日中のオムツ卒業まであともう1歩である。(夜間はまだおっぱい飲んでるせいで外しきれない…orz)
たまに間に合わず、漏らしてしまうことはあるのだが、パンツを「おねえさんパンツ」と呼んで、好きなキャラクターのものを嬉々として履こうとする。パンツだけは多く用意して、園にも置いている。
そして、オムツを使う回数が減っているうえ、家にストックしてあるオムツがまもなく無くなりそうなので、買うか買うまいか、悩ましい状態なのだ。
もし、自宅保育をしていたなら、もうオムツは買わずに、夜間もシートか何かでおねしょ対策をしながら、パンツだけで過ごさせているだろうと思う。
やはり紙オムツより布の方が気持ちがよいし、もうきっと大丈夫、と娘を信じているのだ。
それと、正直消耗品をケチりたい気持ちもある。笑
1人目のトイレトレーニングはなかなか寛容になれなかったが、3人目ともなれば、漏らしても、次からは早めに行こうねと言うくらいで、おおらかに関われるものだ。
そんな想いと、オムツのゴミのない日が増えていることもあり、お迎え時に、
「先生、この子、もうオムツなしで、パンツだけでいけそうですかね」
と尋ねてみたのだった。
私は想像していた。
「そうね、娘ちゃんはもうほぼ大丈夫そうだし、このままパンツでいけるんじゃないかな」という返答を。
ところが返ってきたのは思いもよらない言葉だった。
「それは娘ちゃんの気持ち次第だから…!」
想定外の、先生の強い語気と諭すような眼差しに一瞬たじろいだ。
「娘ちゃんだって、漏らしたら落ち込むからね」
正直、えっ、なんで。と思ってしまった。
漏らしたって大丈夫って声かけてくれればいいじゃない。そこは先生方の関わり方次第なのでは…
帰宅した後もモヤモヤして、夫に話すと、
「先生もずいぶんと言葉足らずやね」
と共感してくれたのだが、そのコメントで、ハッとした。
言葉足らずなのは私だった?
もしかしたら、先生に
「アセルさんは、園にトイトレを丸投げする保護者だ」と思われているのかもしれない。
もしかしたら、トイトレを真剣に考えてない親が多いと感じて辟易してるのかもしれない。
毎日トイレの床を拭くのが忙しくて、オムツしてくれたらいいのにと思ってるかもしれない。
そんなふうに思ってるとしたら、先生にとっては、私が強引にオムツを外したがっている親のエゴのように映ったのかもしれない。
どうしてかは、想像しきれない。
だけどそうだとしたら、先生の態度が納得できるのだ。
先生たち、一体どんなことを考えながら毎日子どもたちのお世話をしてくれてるんだろう。
その想いが少しでも見えたなら、私ももう少し言葉を選んで先生に尋ねたかもしれない。
「先生、うちの子、トイレにちゃんと行けてますかね?」このくらいにしたかも。
やっぱり、言葉と想いの間に何か、わかりやすく共有できるシステムがあれば、コミュニケーションはスムーズだろうなぁ。
でも実際は私たちの身体にはそんな機能はないわけで。
だからこそ、
「ぶっちゃけどう思います?正直私は…」
みたいな一歩踏み込んだ本音トークとか、相手を理解しようと歩み寄るコミュニケーションには、価値があると思えるんだろうな。
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