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地域の仕事に本腰入れてみるか。

WEB広告の仕事を休職して、仕事や生き方について迷走中であるが、色々考えを巡らせていて、ふと思い出したことがある。

昨年11月に、地域の民生委員(のなかの児童福祉に特化した主任児童委員という役)をやることに決め、仕事量を調整したいと社長に相談して受け入れてもらった。

その1ヶ月後にzoomで面談をした際、
「アセルさんが地域の仕事をしたいから少し仕事の量を調整したいと言ったとき、“交流”というものが今の仕事に足りてないということなのかなと自分は解釈しました。それはある意味気づきとなったので感謝しています」
と社長に言われて面食らったのだった。

交流が足りない?だから地域の仕事を私がすると?なぜそんな発想になったのだろう…?

いや、それは違うと思います…仕事と地域の仕事は別で、子どもを取り巻く環境を整えたい気持ちが強くなっているだけで…と慌てて言い訳のようにまくしたてたが、社長は次のミーティングがあり、時間が足りず十分に話せはしなかった。

でも、そのことがずっと引っかかっていた。

地域の仕事については、
「地域の子どもたちの居場所作りをメインに、できたら、子どもと関わってもいいと考えるご年配の方々との世代間交流も叶えられたらいいなぁ。誰かに必要とされたり、誰かと過ごすことが活力になったり、そんな温かい地域を目指すために、自分ができることはなんだろう」
と考えて、民生委員のメンバーや、公民館の職員さんに、1ヶ月ほど前から少しずつ相談を始めている。そういうことに協力してくれそうな方の情報もおのずと集まってくる。

公民館の職員さんたちも前向きに考えてくれていたようで、つい2日前、「その件、その後いかがですか?ご相談する機会があれば」と熱い電話をいただき、気管支炎でゼイゼイ掠れながらも狂喜の声をあげたのだった。

社長の言っていた、「仕事で交流が足りていないから地域の仕事がしたいのかと解釈しました」の意味。
言われたときはわからなかったのだけど、案外当たっていたのかもしれない。
私の人生をかけて行いたいミッションを社長はまさか、見抜いていたりして…?

仕事を辞めてでも、地域のことに力入れてみろ、と誰かが私の背中を押してくれているのだろうか。

なんだか、今後やっていくことの種まきを始められそうな期待をうっすらと感じ、少し前を向けそうな気もするのだった。

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