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走り回る子どもたちからスペースの大切さを学ぶ。

今日、義父の誕生日会を我が家で開いた。
6年前に義母が亡くなってからは、毎年のイベントとしている。

しかし、私の最近の体調不良や心の余裕のなさから、部屋は乱れに乱れていた。

子たちは今日直前になって、「おじいちゃんが来るから」と張り切って片付け始めた。

いつも工作の残骸のみならず、出来上がった作品までほっぽり出して部屋を散らかす6歳次男が、「みんなちゃんとやって、サボらないで」と急に取り締まり側に回ってるのが笑えた。
末っ子3歳娘も焚き付けられて、頑張り始める。9歳長男は、張り切る弟を煙たそうにして、わざとだらけながら片付けている。

それでも、みんなでやると早い。気づくと片付き始めて、実はご飯の支度以外はやるつもりのなかった私も気分が乗ってきた。
つられて張り切って掃除機をかけ始める。

…たぶん10日くらいかけてなかった。埃の塊を吸いまくる。あぁ気持ちいい。あのポヤポヤの塊は一体どこからやってくるのか。そして掃除機の中へ消えていく。

(掃除機かける頻度の参考:夫と二人暮らしの時は2週間に1回、ハイハイする0歳児のいるときは、1日2回。笑)

部屋が片付き、床が見えてくると、子どもたちは———これは我が子たちだけではないよな?——部屋中をぐるぐると走り回る。

普段は足の踏み場もない

いつもそうだ。部屋が片付くと、子どもたちは、嬉しそうに走り回る。毎回。

あまりにもいつものことなので、これにはきっと普遍的な根拠があるんだろうと思う。

私は今、やりたいこととして引き受けたタスクが5つある。仕事2、ボランティア3だ。
その締め切りが、ここ数日で重なっていた。

抱え込み過ぎは、不器用な私にとって、本当に良くない。冷静に1つ1つ対処すれば終わるわ〜という楽観視もなかなかできず、本当に終わるんだろうかと強迫観念にかられたりもして、心が重くなり、身体ごと沈んでしまいそうだ。

40歳にもなって、そういうコントロールがまだうまくできない。

タスクが完了して、1つ減り、2つ減りしたら私はきっと浮かれるに違いない。心が軽くなり、身体が軽くなり、部屋を走り回るかもしれない。

やっぱり、スペースが大事だ。

心にスペース(余白)があれば、私も楽しく走り回れるに違いない。

「役に立つ自分」を演出したくて、必要以上にボランティアを引き受けすぎていた。
これは頑張りすぎ、というより、欲張りすぎだ。

常に楽しく走り回れる自分をイメージして、これからは頼まれごとには、期限を長くもらったり、断ったりする勇気を持ちたいなと思う。

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