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安易に応募してしまった、罪と罰と。

書くまい。
私はやらかしてしまったのだから…
ダンマリを決め込もう…

そう思っていた。
しかし、本音を書かないでいることが卑怯な気がしてきて、勇気出して書いてみたい。

きっと、他の応募者の皆さんの抱く感情とはズレがあるだろうが…

藤原華さん(以下、華さん)が主催された「なぜ、私は書くのか」のコンテスト。
8月末に公開された結果発表の方法や内容について、波紋を呼んでいる。


皆さんの勇気ある意見を読み、考えさせられたり、賛同したりしながら、記事やコメントにスキを押している。

…言いたいことがあるくせに、自分からは発言せず、人が言ってくれる言葉に「そーだそーだ」と言うだけで意思表示しているみたいな…

これじゃあ、1人ではビビって何もできない近所のママ友集団と一緒じゃないかとハッとして、この記事をしたためている。

私の犯した罪

本コンテストは、「なぜ、私は書くのか」という、noterならば書いてみたい、と思わされる非常に書きがいのあるテーマであるにも関わらず、私の参加の仕方は最悪だった。

コンテストのために書いたものではない記事で応募してしまった。

〆切の8月5日までに書けるかどうか自信がなく、とりあえず、それっぽい(ような気がした)記事に安易に「#なぜ私は書くのか」のタグを貼り付けてしまった。

それが、審査をしていただく方にどれだけの手間となるのか、負担となるのか、全く思い至れなかった。さらに、あろうことか、「一作品でも応募が多いほうが、コンテストを盛り上げる一助になるのでは」などという手前勝手な思い込みを持って応募してしまった。

なんてことしてしまったんだろう。自分がウザくてたまらない。穴があったら入りたい。いや、記事を消したい。と思ったのは、こちらの記事が公開された直後のことだった。気づくのが遅すぎた。

8月30日に「落とした理由」が公開され、その翌日に、本記事に「結果発表」が追加されたのだが、

「落とした理由」を読みながら私は、

ヤバい…間違いなく私の記事は、独りよがりな文章である以前に、審査する方を「人として扱っていない」と思い知り、記事を消そうか悩むものの、それが華さんたちにバレるのも恥ずかしく、結局怖くなって現実逃避のように、考えないようにした。

華さん、ジャスミンさん、本当に申し訳ありませんでした。

私の受けた罰

通過した方と、そして落選した方の発表が8月31日に記事に追加されたが、そこで私の気まずさに拍車がかかる。

まず、落選した記事が全て引用で記事内に貼られていたのだが、その下に、落選者の名前一覧も列挙されていた。

…ああ…
記事を下書きに戻してしまえと一瞬卑怯なことを考えたら、「それは許さないぞ。本気じゃない記事でよくも応募したな。これはその罰だ」と華さんに言われた気がした。ジャスミンさんではなかった。

気まずさの極み。

私以外のクラスメイトは、試験時間内いっぱいに考えつくしてテストの答案を埋めたのに、私だけが、適当にマークシート塗り潰して、結果ひどい点数で、教室で1人立たされて説教されたような、あの消え入りたい気持ち。

そんな私は「落ちた理由」はごもっともで落ち込む資格もなく、無礼で論外な応募者である気まずさだけを噛み締めることとなる。

数日後も消えない苦々しさ

安易な応募を反省して、二度と繰り返すまい、と決意すればいいのだが、それとは少し種類の違うなんとも消化不良な感情が残っていた。

「私は罰として記事と名前を晒されても仕方ないと思うことにしたけれど、本気で書いたものをこんな形で発表されたら、ちょっと苦しくないか…?」

私が気になってしまうのは、その部分だった。
そして、このコンテストのために本気で記事を書いた方々は大丈夫なんだろうか、と不安になってきた。

「落ちた理由」と「中間審査に通った方の記事」だけあれば、私のように落選した者も、落選したと理解できるはず。でもあえて、記事の引用、名前の列挙、そして「死んでも落としてごめんなさいなんて言わない」という表現は、

大切なのは傷つけ方だ。そこをはき違えるな。

華さんの記事より

そのことに通じるんだろうか…?

私は「少し、やりすぎではないんだろうか」と感じた。

記事を読み返すたびに、
一回刺したんだから、もう何回刺しても一緒でしょと言われている気がしてしまう。失礼をしてしまった自分のことのみを思うと、仕方がないと思うのだが。

そして、ジャスミンさんの食欲によって、皆が固唾を飲んで待っていると認識されているはずの中間発表が遅れることに、華さんは何も思わないのか不思議だった。

これがどうしてもわからず、これまで華さんの有料記事や投稿から感じた「人間理解に秀でた敏腕編集者」のイメージとどうにも結びつかない。

いちばん悔しいのは

こんなふうに、ネガティブな想像が膨れていってしまうのだが、このエネルギーを、審査してくださる方のことに思いを馳せる想像力として、応募前に発揮できていたらよかったのに。そしたら、こんな独りぼっちの情けない反省会じゃなく、他の方と悔しさをもっと分かち合えたはずなのに。そのことが、今回いちばん悔しい。

今回の失敗を教訓に、読まれる文章を書けるようになりたい、以前に、人として成長したいと思った。

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