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原動力は『国際協力の現場が見たい』【ACEトークvol.1:前編】

※2021年4月28日にYouTubeライブ配信した「ACEトーク」のレポート記事です

世界の子どもを児童労働から守るためNGO職員として活動しているACEスタッフたち。なぜこの仕事についたのか?何を感じ、何を思いながら日々業務に向き合っているのか?毎月一人ずつACEのスタッフをゲストに迎えて仕事にかける思いや、NGOで働くのってぶっちゃけどう?というようなお話を、ACE啓発・市民参加事業の杉山綾香と青井彩乃が司会として聞いていきます!

記念すべき第一回は「かれこれ20年間子ども支援ひとすじスタッフ」ゲストは成田由香子さんです!

成田由香子さんのプロフィール

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内緒にした小学生のころの夢「国際協力の仕事をしたい」

杉山(司会):成田さんは福島県出身で宇都宮大学国際学部卒業ということですが、そもそも大学の国際学部を選ぼうと思ったきっかけはなんだったんですか?

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成田:小学生の時に国際協力の分野で働きたいなって思い始めました。なぜかっていうと、当時アフリカの飢餓のことが問題視というか、テレビでも報道されていて。テレビを見た時にガリガリなんだけれどお腹が出ていてハエを払うこともできない子どもの姿を見て、すごい衝撃を受けたんですよね。

世界には生まれる場所が違うだけで子どもの命が奪われたりする状況があるんだということにすごいびっくりして、世界には不平等とか格差があるんだっていうことに「なんでだろう?」って興味を持ちました。

当時、黒柳徹子さんがユニセフの親善大使としてテレビに出てて、そういう、国際協力に関わる人とか、それを知らせる人になりたいなと思ってたんです。

でも、それを周りに言っても理解されなかったんですよね。ちょっとショックだったのが、小学校の卒業アルバムに「将来の夢」の絵を上手な子に描いてもらうのがあって、みんなが保育士さんとか学校の先生だったりを描いてもらってたんですが、私のは募金箱を持って立ってる女の子の絵だったんですよ。

「理解されてないな」って思って、それからは自分がこういう仕事につきたいっていうことを内緒にしてました。ひそかに自分で勉強したり本読んだりとかしてて。大学に進学してから、やっと堂々とやりたいことに集中できる…!っていう感じがありましたね。

人生の分かれ道 インド留学

杉山(司会):で、インドに留学。大学院がっていうことですよね。

成田:変だよね(笑)変っていうか、変わってるよね (笑)あまり選ばない道だとは思います。大学の時に国際協力の現場を見るっていうゼミがあって、その時に初めてたまたま行ったのがインドだったんです。いわゆる現場を見て衝撃を受けながらも、そこで働くインドのNGOの人の話を聞いて、「生まれ育ったこの社会を変えたいと思ってソーシャルワークを勉強してNGOスタッフになった」って言う姿を見て、


あ、自分もやりたい。ソーシャルワーク。

と思って。ちょうど大学にインドの専門家もいたし、いい学校を教えてもらって留学するに至ったって話です。それが人生の分かれ道になりました。

キーワードはインドと子ども。ACEに入ったきっかけ

杉山(司会):その後日本に帰国して、労働組合の国際局や大使館に勤めて、NGOのACEに入ったのが2007年だと思うんですけど。ACEに入ろうと思ったきっかけって実際何だったんですか?

成田:私が学生の時に、とあるNGOでのボランティアとか勉強会を通して、ACEを立ち上げたばかりの頃の岩附さん(現ACE代表)・白木さん(現ACE事務局長)に出会ってるんですよね。そのNGOで子どもの権利のこととか児童労働のことを知って、そこから結構つながってきてます。

私の頭の中にも児童労働とか子どもの権利とかがあって、そういうことに関わる仕事に就きたいな、NGOで働きたいなって思ってて。色んなキャリアを経てはきましたけど。自分の中にキーワードとして「インド」「子ども」があった時にちょうどACEでもインドのプロジェクトをやっていて、他にも海外の児童労働をなくすプロジェクトをもうちょっと発展させたい、確立させたい、そのための人をちょうど募集してたのがあったんです。それがきっかけでした。

なぜ労働組合の国際局に?

青井(司会):国際協力の仕事がしたいと思ってインドでソーシャルワークを学びに行って、帰ってきたあとに就いた仕事が労働組合の国際局っていうのはどうしてだったんですか?

成田:そうだよね (笑) そこね、ちょっとややこしいんだけど…

労働組合も労働者の人権とか権利を守る仕事をしてて。私は国際局ってところに入ったんですが、そこでは児童労働の問題も取り扱っていたんですよ。なので、労働組合にいながら、海外の児童労働の撤廃に取り組んでいる労働組合に話を聞きに行ったりとか、そういう機会がありました。きっかけは紹介を受けて「ここどうですか?」って言われて、「へ~そんな道もあるんだな」と思って入ったっていう感じでした。

青井(司会):そのあとに大使館で働いたということで、そのあたりの経緯も聞かせてもらえますか?

成田:それもNGOの紹介でした。ODAの日本政府が支援する草の根無償資金協力で、インドのNGOの草の根のプロジェクトを支援するコンサルティング的な仕事を大使館で募集していて、初めてそういう人を雇いたいのでやりませんか?って言われて。

あ、それはやりたい。現場見に行きたい

みたいな感じで決めました。それは契約期間があったので二年間、で。

青井(司会):その前の職場(労働組合)は期間の定めのない採用だったのですか?

成田:うん、それはそう!

青井(司会):じゃあ、正職員として働いていたけど、「もっとそれやりたい!」って思って、期限付きの仕事だとしても自分のやりたい「現場の仕事」をするために選んだという感じなんですね。

杉山(司会):だんだん現場に近づいていく感じがしますね。労働組合で実際に児童労働のプロジェクトをやっているところから草の根として実際にACEでプロジェクトを始めるというところ。成田さんは新規開拓をしていく感じなんだなって、聞いてて思いました。

インドでソーシャルワークやることしか考えられなかった

青井(司会):あ、質問来てますよ。(YouTubeのチャット欄)

「院生の間にインドに留学したとのことでしたが、国際学部の学部生卒業で社会に出るのではなく、院に進学しようと決めたのはなぜですか?」

成田:インドの大学院でソーシャルワークがあったんだよね。ていうのと、開発学みたいなものも一緒に学べる分野だったので、それにすごく興味を持って行きました。

就職はその時考えなかったね。それしか考えられなかったっていう感じ。

杉山(司会):今でこそインドは大分発展してきているという感じがあるかもしれないですけど、成田さんが大学院に進学するときってまだインドは日本人の女性が一人で生活していくのにはすごい大変な場所だったんじゃないかなと思います。でも、それを越えてでも学びたい!現場を見たい!っていう強い思いが成田さんを動かしていたんだなって思うんです。

今の成田さんの働き方を見てて、「ああ、やっぱりそれが原動力になっているんだな」ってすごく感じます。

成田:奨学金制度があったんですよ。インドの大学に国費で、日本政府とインド政府でね。それを使って年に2,3人インドに留学できるっていう枠があって。一応審査はされたんだけど、たぶんマイノリティの感じだったとは思います。全国にそれぐらいの人数はいたんだろうね。(笑)

日本の大学から研究職として、私が留学した大学に調査しにきている人とかはたまにいましたね。

杉山(司会):宇都宮大学の国際学部って結構国際学部系だと有名な学部だと思うので、成田さんのキャリアを見てそれを追いかける人はいるだろうなと思います。本当にいろいろ開拓している例って感じで、かっこいいな、と思います。

後編はこちらから!

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