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活動紹介その④~医療支援~

こんにちは。アフリカ児童教育基金の会ACEFです!

まだまだ続きますACEFの活動紹介。今回は医療支援です。

ACEFでは現在3か所の病院を運営しています。

初めて診療所を作ったのは1991年。ここには塩尻夫妻の強い思いがあります。

1990年、ケニアでの救護支援を続けるため、夫妻は5人の子どもを連れて家族全員でのケニアへ移住しました。(子供は当時長男11歳、次男9歳、長女8歳、次女5歳、三男2歳)
しかし、移住数ヶ月後、9歳になった長女がマラリアで死去してしまいます。当時の国立病院は、医師の知識不足による診断遅れや、薬がすぐ手に入らない状況でした。1つのベッドに2~3人が川の字で寝るのも当たり前なほど、設備も医療器具なども不足している状況です。

自分の娘以外にも多くの子供が幼くして病気で命を落としている現状を目の当たりにした塩尻夫妻。
適切な診断がされていれば、治療が早ければ、薬があれば、助かる命が多くある・・。
「長女の死を無駄にしないために」という強い思いで、1991年子供たちのための診療所を開設したのです。
検査ができ、予防接種もできて、薬局も併設されている病院だったため、1日に200~300人の患者さんが訪れることも。

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また、病院を運営していく中でエイズの問題にも直面しました。ケニアでは9人に1人がHIVに感染しているといわれています。しかし知識がないため予防法も分からず蔓延していること。普段の生活では感染リスクはないのに不当な差別をうけていること。病院では国から無償提供される薬がもらえますが、人目を気にして受診しないこと。

こういった理由から適切な処置を受けられていないHIV感染者/エイズ患者が多くいることが判明しました。差別を受けず安心して治療してもらいたいという思いで2010年に3つめのクリニック内にエイズケアセンターを開設。患者さんのケアを行っています。

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↑ 患者宅を訪問して体調をヒアリングするサラ。
 ACEFからは食料支援も

エイズケアセンターの頼もしいスタッフ・サラ。彼女はケアセンター開設当初からのスタッフです。クリニックに来た患者さんのケアだけでなく、病院に来れない患者さんの自宅まで自ら足を運んでいます。彼女は小さい頃から親や祖父母、近所のお年寄りの世話をするのが大好きだったそうです。心優しいサラ。

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↑常に熱心な仕事ぶりは2020年に行政から表彰されました!

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地域に寄り添った医療を提供しているACEF。これまでに多くの看護師、医大生、医師の方々が「アフリカの医療事情を知りたい」ということでACEFを訪れてくれました。

今回はパンデミック前の2020年2月にACEFに来てくれた医学生(26歳・男性)のボランティアレポートをご紹介します。

【活動内容】
・ サンブル・ロイトキトク村への巡回診療の同行
・ 公立病院・私立病院の施設訪問
・ HIV患者宅への往診の同行

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【活動レポート】
今回、ボランティアに参加しようと思った理由は、自分はどのようにして社会に貢献していけばよいか考えていたからです。4月より医師として働く予定ですが、自分が知らない世界を見ておくべきではないか、自分の活動する場所は日本だけにとらわれず世界で考えてみてもよいのではないかと思い、参加させて頂きました。
エンブ到着日、夜遅くになったにも関わらず多くの生徒が満面の笑顔とハイタッチで迎えいれてくれ、迫力あるウェルカムダンスを披露してくれました。この時の子供たちの笑顔と一生懸命のダンスを見て、今までの自分の心も全て浄化された気がしました。(笑)
今回は医療現場の視察をメインに活動したいと考えており、運よく私の滞在期間に現役医師の先生が村の巡回診療の視察をされるとのことで、同行するこることができました。

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まずエンブから北東にあるサンブル村を訪れました。よく日本のテレビ番組であるような景色を進むこと約3時間、サンブル族のいる集落に到着しました。そこでは日本であれば発症後すぐに治療をして軽症で済むような疾患でも放置せざるを得ないため、取り返しのつかない状態になっている例が数多く見られました。また、感染がひどくなればまもなく命を落としかねない例もみられました。当日に見た症例だけでなく、若くしてすでに亡くなっている数も少なくないことが想像されます。
これらのことを踏まえ、病気になるのを防ぐことだけを考えれば、できるだけ市街地に近いところに住めば改善されるのは自明でしょう。しかし彼らにとって民族としての生活を営むことは切り離せません。そのため、今回のように外部からの支援が不可欠になると思われるのですが、限られた時間や資源を有効に活用し、また確実に成果を出すためにはどのようにすればいいのでしょうか。具体的な策というのはもちろん簡単には見つけられませんが、私としてはその国・地方の政策や衛生教育と絡んで行っていくことが不可欠に感じました。

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↑ ACEFの病院の院長が提供してくれた薬。
 症状に合わせて処方していきます。

また、HIVカウンセラーのサラさんの往診に同行し、HIV診療における現状や問題点などを教えて頂きました。昔よりもHIVの認知度や感染率の改善はみられるものの、依然として避妊具の使用がなされていなかったり、薬を飲まなかったりなどの市民と医療者とのギャップは大きく、この問題はしばらく続きそうに思われました。その中で、私が一番学んだことは、サラさんの姿勢でした。サラさんは「とにかく困っている人を助けたい」という一心で20年程前からHIVの勉強を始め、患者さんの心に優しく耳を傾けておられました。その結果、サラさんはたくさんの受け持ちの患者さんがおられ、信頼関係を築いておられました。おそらくサラさんのおかげでHIVと闘えている患者さんは数多くおられると思います。サラさんが持っておられる「人を助けたい」という精神は私が日本で医療を行うにあたっても、大いにお手本にしなくてはならない姿勢であると感じました。

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↑ ボランティアさん、ACEF美智子夫人とサラを囲んで。
2020年に日本の企業様から寄贈いただいた車で巡回。
雨季の泥道もスムーズに行けるようになり効率的な巡回が可能になりました。

今回の滞在ではケニアの衛生状況や生活環境などから途上国の現状や問題点などを学ぶことができました。

そして、現地でACEFとして社会に貢献されている塩尻夫妻をはじめスタッフの方々、ボランティアとして来られている方々の存在も私の中に大きな印象に残りました。前述のサラさんもそうでしたが、みなさん優しい心を持ち、人のためにと考え行動されている方々を目にし、世の中にはこれほどの人たちもいるのだなと考えさせられました。
2週間の滞在ではたくさんの方のお世話になりっぱなしでしたが、その分だけ勉強と経験をさせて頂きました。自分も何かしら人のためになり、社会に必要とされる人間になりたいとより一層思うようになりました。
本当に行ってよかったと今でも思ってます。
お世話になった方々と出会いに感謝します。

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医療の現状だけでなく患者さんに対する姿勢など、将来に活かせるものをたくさん吸収してくださったようです。

それではまた次回お会いしましょう!

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