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人は人を必要とする

タイトルのことばは、『ふつうの相談』(東畑開人著)という本のまえがきの一節です。

最近、この本を再読していたのですが、
本当にそのとおりだなと強く感じる出来事があったので、
今日はそのことを書きたいと思います。

私はWebサイト『子ども期のトラウマと複雑性PTSD』を運営していますが、
そのサイトの「お問い合わせフォーム」から、
複雑性PTSDの症状や子ども時代のトラウマ等についての相談やお問い合わせをいただくことが、
ここ数ヶ月でとても多くなったのです。

当事者の方はもちろんですが、
そのご家族、さらにはご友人からもお問合せいただくことがあります。
それぞれの方にご事情があり、悩みの形も多岐にわたっていますが、
ひとつの共通点がある気がします。

辛いトラウマ記憶や複雑性PTSDの症状について悩んでいることに加えて、
理解してくれる人が少ないことに困っている方がとても多いのです。

私自身、周囲に理解してくれる人がいなくて、辛い日々を送った経験があります。
だからこそ、Webサイトで自分の経験を発信するようになったのですが、
正直に言えば、ここまでたくさんの方からお問い合わせをいただくことは予想していませんでした。

私は支援の専門家ではありませんので、治療やカウンセリングはしていません。
それにもかかわらず、お問い合わせが絶えないのは、
当事者あるいは関係者の方々が、治療以外での「人とのつながり」を求めていることの表れだと思います。

そして私自身も、お問い合わせへの返信や、そこからはじまるやり取りを通じて、
人とつながっているという安心感を得るようになりました。

自分のことを聞いてもらい、意見や情報を交換できるというのは、
たとえ自分の抱えている問題の解決に結び付かなかったとしても、
その行為自体がとても心強いことなのです。

医師やカウンセラーとのつながりも大事ですが、
どうしても「支援してもらっている」という感覚になってしまい、
支援してもらっている自分がときに「ダメな存在」「弱い存在」に感じて、
ネガティブな思考に陥ることがあります。
また、お金のやり取りが発生することも、
「サービスを受けている」という感覚を助長し、
支援者と本当の信頼関係を築くのは難しいのでは?と不安になります。
少なくとも私は、このようなネガティブ思考や不安を抱いてきました。

そんなときに、同じ状況に置かれている人とのつながりは、
安心感を得るひとつのきっかけになると考えています。

「支援される側」と「支援する側」という関係性を否定したいのではありません。
だれかに支援されているという感覚や、回復への道筋を示してもらうことは、
それはそれで重要だと思っています。

ただ、それだけでは不十分だと思うのです。

冒頭に紹介した『ふつうの相談』の本でも、
一般市民どうしで相談したりされたりすることの治療的意味が論じられていますし、
誰かに相談することは、直接的ではないにせよ、
心を治癒するはたらきがあるのではないかと思うのです。

しかし多くの当事者は、トラウマによって対人不安を抱えていらっしゃいますので、
他人と関わることは容易ではありません。
だからこそ、自分の状況を分かってもらえる当事者どうしのつながりが、大事になってくると思います。

深い心の傷を負って、他人が怖い存在になって対人不安を抱えていたとしても、
「人とつながりたい」という願いは消えないどころか、むしろ強くなるのではないか。
そのことを最近、強く実感しています。


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