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さみしさを飼い慣らそうな

ひとりで行う、あくまでも能動的な(=自ら望んで行っている)取り組みのなかで、そうはいっても湧いてくる孤独感はどう扱っていったらいいかな。
要は、選択的孤独ってやつ。

こんにちは。司法試験受験生です。

今朝、弁護士のやまださんの以下の記事を読みまして、いっそ受験勉強の日々の中で、かなり高頻度に湧いてくる孤独感とかさみしさとやらをnoteに言語化しちゃおうかな、そんでもってすっきりさせちゃおうかな、なーんて思って、こういうのは勢いがだいじだよなってことでさっそく書いてみました。

人とのつながりに飢えている。
いや、つながってはいる、連絡をすれば、返事はくる。
ただ、もっとこう突発的にしょうもない話をしたいだけなのかな。
その人にまつわる何かを見つけたときに、写真撮ってすぐ送っちゃいたいし、ちょっと面白いことが起きたときにそれをケラケラ笑いながら共有したいし、物思いに耽った夜にはそのとき思ったままの哲学的なことを言いたいし、聞かせてほしい。

焚き火を囲んで語らう時間もないまま、遠くから(元気にしてるかなー?)なんてただ想うだけで月日が過ぎてしまっていいのだろうか。


なーんてことを思いながら最近はとりあえず月に一回くらいは何かしらの話題でLINEを飛ばしてみています。たまに唐突にしょうもないギャグだけの話題を持って電話掛けてみています。


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