物事に自分の課題に真剣に向き合えていないときのストレスは想像以上に大きい。
くるしいねえ。自分がやることでしかクリアできない課題を前に。
昔はすごい人だと思われたかった。今はちがう。この人に会うと元気出る、希望が見えてくる、と思われたくなった。
ああ、気づいた、そうだ、私たちがほしいのは慰めやいたわりの言葉じゃない。約束だ。
苦しみが創作のネタになることを信じてなんとかやっていく。それしかない。それが希望
人生の長さにうんざりしてきた。たぶん人生の、ではなく、司法試験に受かるまでの勉強の日々の、が正しいんだけどね。単なる睡眠不足かな。寝てみたらまた認知が変わっているかもしれないね。その希望はせめてちょっと残しておこう。ちょっとでいいから。
私にはあと何が捨てられるだろうか、いやそもそも捨てきれていなかったものを捨てきる、という方が正しいかもしれん。
くるしいわ変わらん
ちゃんみなのLADY聴いている。何聴いても今なみだでるのかもしれない(笑)
好きな人のMVが流れる画面の前でうるせえなと小声ながらこぼした自分に驚いた。同時に涙が出た。そういうときもあるよな。笑ってしまった。
推しの写真見たらさらにかなしくなってきた。かなしい、じゃなくてくるしい、というかぼうぜんとするかんじ。いけ散らかしすぎている。ああ、先が長いことを分からされる瞬間。元気をもらうというよりかは、途方もない絶望が5パーセントくらい増量された感じ。いまの感じはそんな感じです。これは伏線
音楽に命救われることがあるとは思わなかった
弱い脆い自分がうっとうしいめんどくさいやっかいくるしい
うるせえなじゃあ黙ってればいいんだよ結局そこで誇示しないといけなくなるほどに君も君のの持ってるものに自信ないんだよ不安に駆られてんだよ一緒なんだよ俺らと
何で連絡したのかなんて、ふと思い出して声が聞きたくなった顔が見たくなったから以外に何があるってんだ。
寂しいも悔しいも会いたいも穏やかも全部持ってるよ。毎日。毎日会いたいと思ってる。声が聞きたくなるのも何かを見てあれを思い出して内心くくっと笑ってまた日常に戻るのもいつものこと。いやもはやそれも日常なのだから、日常に戻るって表現はおかしいな。毎日みんなと生きてる。