くるしいわ変わらん
ちゃんみなのLADY聴いている。何聴いても今なみだでるのかもしれない(笑)
好きな人のMVが流れる画面の前でうるせえなと小声ながらこぼした自分に驚いた。同時に涙が出た。そういうときもあるよな。笑ってしまった。
推しの写真見たらさらにかなしくなってきた。かなしい、じゃなくてくるしい、というかぼうぜんとするかんじ。いけ散らかしすぎている。ああ、先が長いことを分からされる瞬間。元気をもらうというよりかは、途方もない絶望が5パーセントくらい増量された感じ。いまの感じはそんな感じです。これは伏線
音楽に命救われることがあるとは思わなかった
弱い脆い自分がうっとうしいめんどくさいやっかいくるしい
うるせえなじゃあ黙ってればいいんだよ結局そこで誇示しないといけなくなるほどに君も君のの持ってるものに自信ないんだよ不安に駆られてんだよ一緒なんだよ俺らと
何で連絡したのかなんて、ふと思い出して声が聞きたくなった顔が見たくなったから以外に何があるってんだ。
寂しいも悔しいも会いたいも穏やかも全部持ってるよ。毎日。毎日会いたいと思ってる。声が聞きたくなるのも何かを見てあれを思い出して内心くくっと笑ってまた日常に戻るのもいつものこと。いやもはやそれも日常なのだから、日常に戻るって表現はおかしいな。毎日みんなと生きてる。
苦しいな、この苦しみはいつかだれかの痛みを一つ掬う魔法になるからな。まちがいない。堂々と転べ。
出会ってともに生きても亡くなればまた一人になる。ということは最後まで自分を支えてくれるのは思い出だけだ。
人と比べて一喜一憂する暇がない、未来永久ついて回る自分のしょうもなさを可能な限り叩きのめし、改良していくのに忙しいのでね。自分からだけは唯一逃れられないんだよ。
身体を売るとき、売ってるのは身体だけじゃないんだろうな。
悔しくてしょうがない人からうまくいく
ホームで初めてしゃがんだ日のこと。忘れないだろうな。電車で初めて涙が出てきた日のこと
あれだけ恋い焦がれて写真を見ればため息が出るほどほしくなる人のことを、一度も思い出さなかった日が来たら、それは自分が当時の理想の自分に進化した、たどり着いた証拠。憧れを超えたときに憧れと一体化するので。