父をたずねて
愛知県の春日井市に住んでいた頃の話である。確か小学2年生ぐらいだったと思う。当時長野県に単身赴任していた父親から電話がはいった。トンネルが完成しそうだから見に来ないか、と。父親は中堅のゼネコンに勤め、当時トンネル工事に着手していた。父に会えるのは1ヶ月に1、2回という生活をおくっていた私は、うれしさに電話口で飛び上がった。ただそれだけ離れて暮らしていると、自然と父親とどういった距離感で話をしていいのか分からなくて電話口で固まってしまうことが私にはよくあった。(電話の様子を母からは、上司と部下の会話みたいと揶揄されたこともある)幼い私は私なりに、遠くで頑張っている父親に心配をかけたくないという思いを強く持っていたのだろう。こうして母、私、妹の3人は遠路はるばる長野県を目指すことになったのである。
お腹がすいたとき用にとパン屋で買ったソーセージパンなどを持ち込み、長野行きの特急列車に乗る。座席の斜め向かいには出張中のサラリーマンだろうか。スーツ姿の男性が3、4人座っている。彼らは早々に宴会を始めていた。私たちは窓の外の景色を楽しみながら長距離旅行をめいめい楽しんだのだった。そう。最初のうちは本当に楽しかったのだ。最初のうちは。そのうち座席からは声もきこえなくなり、皆一様に地蔵のようにだまりこくってしまった。それもそのはず。この列車ものすごく揺れるのだ。その揺れは今まで体験したことのない未知の揺れで、私はとんだ列車に乗ってしまったものだと我が身を呪った。ふと斜め向かいのサラリーマンたちをみるとさっきまでの威勢はどこへやら、やはり皆黙りこくっていた。その中に売り子のお姉さんの元気な声がこだまする。お弁当、お茶はいかがですかー。こんなに需要のない弁当も他にないだろう。私は早く長野について下さいと心の中で必死に祈った。へろへろになりながら長野にたどり着いた私たち。結局食べずにとっておいたソーセージパンを食べながら、長野の空気を吸い込む。それにしてもこんなに雪をみたのは生まれて初めてだ。目の前には美しい雪景色が広がっていた。手に取って雪玉を作ってみる。雪はサラサラで、私はその感触を存分に楽しんだのだった。
その後父親と合流した私たちはその足でお世話になっている下請けさんのお宅を訪ねる。「遠いところをよおきんさった」とお茶と野沢菜の漬物で歓待をうける。この漬物がまたびっくりするほど辛くて、地域によって物の味付けがこんなに違うものかと驚かされた。ここの人たちは雪深い冬の間こたつに入ってこの漬物を食べながら、春の到来を待つのだなと思うとなぜだかしんみりしてしまった。お宅を後にした私たちは、今日の目玉であるトンネルに向かう。本当は関係者以外は入ってはいけないという出来立てのトンネルの中に入り見させてもらう。「安全第一」のヘルメットも忘れずに。コンクリートがまだ生乾きでしっとりしている。それにしても不思議だ。よく山に穴なんてあけられるな、と。父の仕事のことを全く知らないが、素直に感心したのだった。いつも家ではダラダラしている父親しかみたことがなかったので、この人は何を学んでここにたどり着いたのかと父の人生について思い巡らした。
今思い出してもやはりあの時の父親は誇らしげだったと思う。数少ないお父さんがカッコよくみえた瞬間である。今の私は例えば工事現場において重機をみたくないほど、父のことは思い出したくない。それだけ歳月をかけて私たちは関係をこじらせてしまった。あの頃の私は、トンネルを見ていた私は、こんなこと思いもしなかっただろうけど。
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