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彼女の夢

 中学2年の転校する時に言われた言葉が忘れられない。お餞別を渡しながら彼女はこう言った。いいな。コナちゃんは転校できて。私は転校でいい目にあったことが一度もなかったのでこの言葉を聞き捨てならないと感じたが、彼女の立場を思いやると何も言えなかった。彼女はかなりの「きにしい」で友人との関係にいつも悩んでいるような人だったからである。一度でいいから全く違う土地に行って、人生をやり直してみたいと思う気持ちも私には分からないでもなかったのである。だから色々と大変ではあるけどね、と私はお茶を濁しておいた。

 彼女は少し臆病なところがあるものの、こうと決めたら必ず実行にうつす無言実行の人だった。遠足でナガシマスパーランドに行ったとき、回転コースターに乗ったことのない私たちは常に二人で行動していた。しかし彼女は最初から密かにコースターを克服しようと考えていたのだろう。怯える私をしり目にパッとコースターに乗り、別段何ということもなく戻ってきた。(書いていて本当に臆病なのは私のような気さえしてきた)中学に上がり、運動が苦手なことを自認する彼女は、それでも早々とバレーボール部に入部を決めた。私のように消極的な理由で、文化部に流れるというようなことを彼女はしなかった。自信がないながらもそのことであまり卑屈にならずに常に前を向いて行動する彼女に対して、私は少なからず尊敬の念を抱いていた。

 何度か彼女の家にクラスの子たちと遊びに行ったことがある。クーラーのきいた彼女の部屋でジュースを飲みながら人生ゲームに興じる。人生ゲーム楽しいな。車を買って乗り切れないほど子どもをつくって。本当の人生もこんなふうに順調に進めばいいのにと私は思った。彼女は卒業文集で将来の夢についてこう書いた。お母さんになりたい、と。本文には彼女の目指したい母親像が事細かに書かれており、私はその内容に関して妙な違和感をもった。すべてが具体的過ぎたのだ。できる限りお菓子は手作りしてあげたいとか、本の読み聞かせをしてあげたいとかそういうことが見開き1ページの紙面に熱量をもって書かれていた。真に迫るというか、彼女のだけやたらと地に足が着きすぎた内容だったのである。現に私は他の子が書いた夢の内容を全く思い出せない。(私自身は遊び半分でテレビのレポーターさんになりたいと書いた。美味しいものがたべられるから、と)小学6年生の私にはお母さんというものは普通に成長すれば大概の人がなるもので、特に「夢」として掲げるようなものではないと感じられたのである。

 彼女がどうしてそのような夢を抱くようになったのか。理由はきちんとある。私は彼女の母親をみたことが一度もなかった。家に何回か遊びにいっているような間柄だったのに。地域の活動などでも彼女は父親や気の良いお兄さんと常に行動を共にしていた。どうやら彼女の母親は病弱で、家の中で大概の時間を寝て過ごしていると知ったのは相当後になってからのことだった。私の母親が風のうわさでそんなことを耳にしたらしい。彼女の母親の病状がどのようなものであるかは分からなかったが、彼女が寂しい思いをしていることは明らかだった。あの文集に書かれていた内容は、彼女が自分の母親にしてもらいたいことそのものだったのだと私は後になって気づいた。紙面から熱量を感じたのも当然である。

 あの別れ依頼、年賀状のやり取りが数回あっただけで彼女との交流は途絶えてしまった。思えばお互い忙しい年ごろだった。彼女が自身の望むような母親になれたかどうかは分からないが、そうであって欲しいと願う私である。

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