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花粉症と思い込みとパーソナリティについて書いてみる


花粉症との出会い

花粉症という言葉は、今からウン十年前、まだわたしが小さかった頃にはなかったように思う。しかし、花粉症の”症状”は、わたしにとっては身近なものだった。というのも、わたしの父が今でいう花粉症だったからだ。その頃は皆、「アレルギー性鼻炎」と呼んでいた。鼻水に悩まされ、イライラして周りに当たり散らしてしまうこともある父の姿を見ながら、「『あれるぎぃ』っていうものは大変なんだな。」と、子どもながらに思っていた。わたし自身はその症状に困った記憶はないが、一度、妹を耳鼻科に連れて行く母が運転する車に乗っていたことが、かすかな記憶として残っている。まだ寒い時期だったので、おそらく妹と父は花粉が飛散する前から用意周到に耳鼻科へ行き、薬を処方してもらっていたのだろう。

そんなわたしも、「花粉症」という言葉をテレビやネットや雑誌や病院で何度も目にするようになった。「人には花粉の許容量があって、そのリミットを超えたら誰もが花粉症を発症する」というアイデアを刷り込んだ。「わたしの花粉リミットはいつなのかな。いつ花粉症になるのかな。」と、花粉症が発症するのを無意識のうちに待っていたのではないかと今では思う。

そのわたしの花粉症は、町から郊外へ引っ越した年に、特に強い症状が出た。家族でピクニックを計画していた日、公園を散策していると次第に目が腫れてきて涙が止まらなくなり、ついには目を開けていられなくなった。レジャーシートを敷いてお花見弁当を食べる予定が、車の中で食べることになった。散々なピクニックだった。わたしのその様子を見ていた息子は、鼻水が一段とひどくなった。小学校にもボックスティッシュを持っていくようになり、お道具箱の隣はティッシュボックスだった。あまりにかわいそうなので耳鼻科で検査をしたところ、アレルゲンチェックで、スギが100%を超す勢いの反応を示していた。「花粉症だね。」と親子で結論づけ、今後生涯続く花粉症とのお付き合いに覚悟をしたのだった。

花粉症との別れ

ところが、である。とある本を読んでいたところ、「花粉症は気のせい。」と書いてあった。それを見たわたしは、雷に打たれたような衝撃を受けた。「あんなに悩んでいたのに、”気のせい”だなんて・・・!」その時、わたしの体の中の何かがスコーンと抜け落ちてしまった。「気のせいだったなんて・・・」深く肚落ちすると同時に、「気のせいで花粉症だったなんて、なんて愚かだったんだ。」と、自分に本気のツッコミを入れた。その時点で、「わたしは花粉症ではなかった。」というアイデアがインストールされてしまったのであろう。その日からわたしの花粉症の症状は消えた。

面白いのはその後の展開である。わたしが目もあけられないほどの状態だったことを知っている息子が、わたしのひどいアレルギー症状がスコーンとなくなったことを目撃したのである。「花粉症って気のせいだったらしいよ!あんなに大変だったのに、おかしいよね!」とスッキリ笑う母の様子を見て、「そうなんだ!気のせいだったんだ!なーんだ!」と、息子の症状も消えた。あれ、血液検査では100%を超えているのに・・・。そこは未だによくわからないが、症状はあれから6年経つ今も出ていない。

この話をすると、わかるわかると同意してくれる人もいれば、ピグマリオン効果なんですかねと論理的に説明したがる人もいる。信じられないバカ話とあきれる人もいれば、花粉症で症状を出せないということは違うところにダメージがきていますよと親切にも恐怖の警告をしてくれる人もいる。理由はわからないし、この際どうでもいい。はっきりと言えることは、わたしたち親子に起こったことは「『気のせいだった』と完全に納得してしまった」ということだ。花粉症が気のせいであるということへの疑いは微塵もないということだ。

これを「思い込み」ということもできるだろう。いや、かなりの確率で思い込みだと思う。

マーボー豆腐の黒魔法

ここで一つ、アレルギー性鼻炎の父の「思い込み」のエピソードを紹介しよう。わたしがまだ小学生だった頃の話だ。

ある日、我が家の夕食の食材が十分ではなく、母は苦肉の策で賞味期限の切れている豆腐を使ってマーボー豆腐を作った。少々賞味期限が切れていても、食べられるということは今では多くの人が知っていることだと思うが、当時のわたしたちの家では「あってはならないこと」でもあった。母は「大丈夫大丈夫!1日くらい大丈夫!」と言って(おそらく自分に言い聞かせながら)調理し、実際、マーボー豆腐は美味しかった。父も「うまいなぁ!」と言って食べた。わたしたちもたらふく食べて、その日の食材不足を補えた母はホッとしたようだった。

その後二日くらいが経過した後(二日後ですよ)「マーボー豆腐、おいしかったよね!」という話題になり、母が嬉しそうに「大丈夫だったでしょ?」と言ってしまった。父が「大丈夫って、何が?」とたずね、母が「1日くらい賞味期限が切れても大丈夫ってこと!」と元気に答えた。「この間の豆腐、賞味期限が切れていたのか!!」と父が大きな声を出した。そして「うう、、おなかが痛くなってきた」と言い始めた。そして見事に父はおなかを下したのである。マーボー豆腐を食べた他の家族は全員けろりとしており、父もその話をするまではケロリとしていたのに、である。それを機に母は「お父さんにはぜったいに賞味期限切れって言っちゃだめよ。」と、子ども達に念押しするようになった。

これはいわば、「花粉症は気のせい!」の逆バージョンなのではと思う。逆バージョンと言ったが、原理は同じということだ。強く合点がいったことは、本当にそうなるってこと。ただ、強く合点がいくっていうのは、本当に振り切れるまで納得して肚落ちするところまでいく必要はあるように思うが。

結局最後まで結論は何?という話だが、思い込みの威力、「思い」の「重さ」についての、我が家に起こった出来事の紹介である。


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