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自分のどんな感情も、そうなんだと受け入れる

ゆうゆうさんのこの記事で「自己一致」ということを知りました。

自己一致は、「自分自身のありのままの感情を体験し、受容していること」

んーーわかるようなピンとこないような、私の頭じゃぼんやり‥

体感している感情を、「こんな風に感じちゃいけない」「感じた感情を押し殺そう」「感情が治まらない」このように否定・抑圧・囚われをしてしまうと、起こっている出来事に対してありのままの自分を、そのまま純粋に受け止めるということをしていないということなんです。それゆえ、感情も自分も掴めていないので、感情は止まらず自分自身のこともわからなくなります。

あーーこれはめっちゃやってる!

言われたことに対して、「カチン」ときてもおっこちゃいけないと笑ったり
マウント取られて「イラッ」としても、そうだねーと笑顔で返したり。
悲しい時も平気なふりをしたり
焦っているのに涼しい顔して平気なふりしたり。

もうほとんどこれだわ、なんなら嬉しい感情まで抑えてしまっている。


私は自己一致できていなかった。



これをできるようにするには、自分の感情を冷静に客観視することだそうです。

「今嫌だと思ってるんだな」「今怒っているんだな」と。

私の場合は、HSPということもあって境界も薄く、混乱して自分の真の感情が見えなくなることがあるので、その時に身体反応がどうなったか?ということを思い出すようにしています。

と、体の反応から気づいて行くとのこと。


この辺はもう、実践しながら自分なりのやり方を探って慣れていくしかないかな。




自分の軸をを持つには、確固たる自分の哲学のようなものがないとダメかと思っていたけど、こうやって自分の感情に気づき受け入れていくだけで、できてくるものなんだろうか。

そっか、どんな感情でも、それが自分なのだから、それが自分の軸なのか。
理想的な誰かの軸じゃなくて、自分だけの自分の軸。


第三者的に自分の感情を観察し、それを受け入れるをコツコツやっていこう。

相手の言葉にモヤッとした時、何に引っかかったんだろうと、相手の言葉ばかり考えていました。だけどそれよりまず、自分がどんな感情を持ったかに注目し、それを受け入れることが先決だったみたい。



自己一致していない状態を人は感じ取ってしまうんだろうか。自己一致していない場合、受け取る方はなんとなくモヤっとするのかな。

いいこと言ってるけどなんかもやっとするって時は、そういうものを感じ取ってるからなのかなあ。かといって悪いものをそのままぶつけられるのは嫌だけど。

なんとなく気持ち悪い時、なんだろうなんだろうとあれこれ考えていたけど、「相手は自己一致していないのかもな」と思えばちょっとはスッキリするかもな。



とか、勝手に色々思っていました。


まあまあ、人のことはいいから自分に集中しよー


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