罪悪感は愛のかけらかもしれないから、この道を行く
4年ほど前、二世帯住宅にして住んでいた実家を出ました。
もし親に話して「なんで?」と言われたら何も言えず心が挫けてしまう、そう思ってギリギリまで隠していました。
ここが嫌だ、出たい、それだけでは理由にならないと思っていたし、とても酷い事をするように感じていました
だけど私は平気そうに振る舞うことが上手いので、いつものように勝手なことをするやつだと思っていたでしょう。
3年間、外で暮らしました。重石が取れたようでやっと深く息が吸え、開放的な気持ちで過ごすことができました。
娘にも、あの頃はびっくりするくらい元気だったと言われました。そんなだったかな?
最初は悪かった体調も、気持ちよく散歩をしたりして少しずつ戻り、もう実家に戻っても何の影響も受けないんじゃないかと思うほどになっていました。
期間限定の予定で実家に戻ったら、残念ながら平気じゃありませんでした。
以前のような辛さはありません。だけど開放感を味わったせいか小さな重石さえ我慢できなりました。以前だったら気にしないくらいの些細なことでも気持ち悪いのです。
以前が麻痺させすぎていて、我慢が当たり前になりすぎていたのかもしれません。
実家にいると、どうしても親を感じてしまいます。
すると、昔のような考えがよぎってしまいます。
こうすればいいのにと思っているんじゃないか
私の方が悪いと思っているんだろう
私はいない方がいいんじゃないか
私の言葉に狼狽える母親を見れば、拒絶されているように感じ
いつまでも後味の悪さが残っていまう。
親の前で笑えない自分
親を喜ばせたいと思えない自分
そんな自分を心が狭いとまた責めてしまう。
あと二ヶ月くらいで、また実家を出ます。
そんなこともあり、心の奥で燻っている罪悪感がチリチリしているのかもしれません。
もういいやとプツッと切れたような気持ちにもなったし、
私が悪い訳ではない事も理解しました。
それでも、親の気持ちに影響を受けないほど鈍感にはなれませんでした。
本当は喜ばせたいし幸せにしたかった、でもできない。
そんな自分を責めている。
自分を殺して親の意向に沿えば、親は喜ぶかもしれません。
だけどそれではもう、私自身は喜べないのです。
私は、自分を喜ばせる道を歩き始めてしまった。
それを喜ばない人がいることは、悲しいけれど仕方がない。
私はそういう道を選んだんです。
この道を選んだんだ、という覚悟。
それに傷ついたと怒る人も出てくるかもしれない。
それでも、自分の決めた道を行く。
それをもう一度確認するために、心がざわついていたのかもしれません。
何が正解かなんて分かりません。
それぞれの生きている世界によっても正解は違うでしょう。
結局、周りがなんて言おうと
自分は何を心地いいと感じるのか
それを大事にしたいと私は思います。
暫く、すっきりしない気持ちを引きずっていました。
親に優しくできない事への罪悪感。
優しくしたらいいのでしょう、でも無理にやっても自分が喜ばない。
そんな風に少々深刻のループに入り込んでいました。
だけど、その罪悪感を抱きながら、
自分の決めた道を進む覚悟を持つことが必要だったのかなと今は思っています。
罪悪感があってもいい。それはきっと親への愛情のかけら。
深刻にならずに、かるくかるく、かるーくいきたい。
どうも丁寧に真面目にちゃんと対応しようとしすぎている気がします、特に親には。当てつけかな?
実は今度親に接する時、フリーレンを降ろしてみようかなって密かに思っているんだけど、どうかな?自分が1000歳のつもりで接したら、ちょっといいんじゃないかと。
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