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私へのお願い、私の願いを叶えてあげて

キューブさんのこの記事、ものすごくわかるーーと思って読むました。
私もおんなじだから。遠慮っぽく遠慮して、カッコつけて平気なフリして生きてきたから。

カッコつけずに欲しいものを欲しいって言えるのってすごいと思う。いい意味で


私も本当は、

「わーー!!これほしいーー!!ちょうだいちょうだい!!」って言いたかった。

なんで言えなかったのかなあ。


コメント欄にも書いたけど、大体

「わーこれいいなー」→「欲しいって言っても大丈夫かなあ」→「みんながそんなに欲しいならどうぞ」→「(後から)あれ、欲しかったなあ」と後悔する、というパターン。

そして更に「なんで欲しいってすぐ言えなかったんだろう」とウジウジ考えてしまう。うーーんジメジメ


外から見れば、スローでおとなしすぎで生存競争に負けちゃう奴。親はこう見ていたからそれじゃダメとお尻を叩き続けたんだろう。

私の中は多分大人の思う3周くらい多く、ぐるぐるぐるぐる考えてた。物心ついた時から考えすぎだったエピソードを一つ。

母親が素麺を茹でているときに、麺つゆがないことに気づき、近所の酒屋まで買い物を頼まれました。いつもはスーパーで買っていたので、そこに売っているのか私は疑問に思っていました。酒屋につき、店内を探してもいつも買っていた麺つゆがありません。私は困ってモジモジしていると店のおばさんは、「何かうのか忘れちゃったのね」と家に電話をして聞いてくれました。「麺つゆだったのねー」と言って渡されたのは、初めて見る缶に入った麺つゆでした。「これが麺つゆなんてわかんないよー!」そんな思いと、忘れてないのに忘れちゃったことになって笑われたことの恥ずかしさ。

麺つゆくださいって入っていけば済むものを、余計なことを考えすぎだと思いますよ、自分でも。麺つゆが一種類しかないと思ってるところが子供なんですけどね


そんななので、子供の頭でめっちゃ色々考えていたと思います。



で、最初のほしい物ですが、記憶にあるときにはもう、欲しいものを欲しいと言えなくなっていました。

記憶をたどると、多分これいいなあっていう気持ちはあるんです。でも「これはダメって言われるだろうな」と、私のほしいものは許可されないと思っていて、どれならいいと言われるか、正解探しをしていました。

母親が「これはダメ、あれはダメ、これにしなさい、そんなのやめなさい」とうるさく言って、自分で選ばせてもらった経験がなかったんだと思います。

そして、これを欲しいと言ったら他の人からどう思われるか。これも異常に気になっていました。私の気質もあるのかな?


更に、で、もし欲しいと言えていたとして、

もし、周りに「欲しい欲しい!」っていう人がいたら、じゃあどうぞって譲ってしまう気もするんですよね。

これは何かなあ、自分の欲がよくわからないというのはあるかもしれない。どこまで本気で欲しいのか、とか。自分の気持ちを感じることをしてこなかったせいかな。人生諦めムードで生きてきてしまったのかもしれない。

いい人で嫌われないようにしていないと生きていけないと思っていたから、自己主張できなかったってのもあるかな。これは子供の頃安心できる場所がなかったのが原因かな。

自分の周りの世界が怖くて安心感がなかったから、ビクビク周りばかり気にして
「欲しい!」って言えなかったのかもな。


**

そして今、世界は思っていたほど怖くないかもよって思い始めている。
自分の見方を変えれば、変わるかもよって思い始めている。
力を抜いて楽に生きていても、楽しめるかもよって思い始めている。
自分は自分の味方でいてあげようって思っている。


だから欲しいものを欲しいって言っても大丈夫だよ、私。

私が叶えてあげるから、私に伝えて!

そして私はその声を聞いたら、面倒がらずに叶えてあげて!


私から私へのお願いでした。



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