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胸に春乗せ 晴るを待つ

もうすぐ、国語科教員の生活、最初の1年が終わろうとしています。
来年度も常勤講師として任用していただけることになりました。とてもありがたいことだと思っています。

今年度、最初から何もわからず苦労したので、来年度きちんとスタートを切るべく、今のうちにやっておかないといけないとわかったことを、ここにまとめておこうと思います。

年間単元計画

今年はとにかく初めてで、ずっとその学年を受け持って来た先生の言われた通りやって来ました。本当におんぶにだっこで授業計画も立ててもらい、申し訳ないけどもありがたかったのですが…
その都度聞かないと前もっては教えてもらえず、まったく見通しが立たないことに途中から困り始めました。
いくら授業計画を立ててもらっても、板書をどうするか、どうやって発問したり問い返したりしていくか、あるいは説明していくか、考えてないとわたしは授業できません。(引き出しが全然ないので…)直前すぎると、その時間を確保できないわけです。
先の予定の詳細は変わっても、だいたいの時期というものは決めて、心積りをする必要があると思いました。

そしてその作業の中で、最初の定期テストまでに何時間確保できるかを見ながら、何時間かけて何を教えるかを決めておく、ということが大事だなと思いました。

4月最初にする単元の授業計画

とにかく4・5月は忙しいです。今年は3年生の担当で修学旅行もあったので、目の回るような毎日でした。
だから、今のうちに最初の単元の授業計画だけでも立てておく必要があります。わたしは講師で、どの学年を担当するかは今の時期、まったく予想がつかないので、どの学年になってもいいように準備しようと思っています。

去年1年講師をしてみて勉強できたことのひとつに、指導案の書き方を知れたことです。
実習で書いたことはありますが…正直、きちんと理解できていませんでした。
道徳の係の先生が毎回くださる指導案を真似して、同じ授業計画を立てるなら、指導案の略案として書いてみたらどうかと思い、最後の単元はそうしてみました。
研究授業のような詳細なものではなく、授業の流れを指導案の形式で埋め込んでいく感じです。
こうすることで、わたし自身が指導案の読み方や書き方に慣れられると思うのです。

ちょっと難しいなと思うことも、習慣にしてしまえば乗り越えていけるかもという、わたしの浅はかな展望です。

帯授業をどうするか

わたしがいた学校では主に、漢字ワークを数分させるというものでした。平成初期に学生だったわたしからすると「家でやらないんだ」と、軽く衝撃を受けました。もちろん学校ではあえてやらなかったり、テストまでにやりきれなくて家でやる子もいました。いずれは提出するものだし、小テストもあるので、これが帯授業だと子供たち的には楽なのでしょうが…

わたしは正直、あまり効果を感じませんでした。書くことが目標になっていて、「漢字を覚える」ということが、達成できない子には作業化してしまいます。例文を読もう、熟語の意味を考えながら音読してみよう、いろいろ手立てを言ってみたけど、そういう子供たちにはなかなか定着しません。

テストで漢字は高得点を取れる子でも、記号のように覚えて意味は置き去り、語彙も増えずというのも割といます。そういうことを解消するためにも、わたしは小テストは言葉の意味テストをしてみようかと考えています。これは帯授業をどうするかの答えになってないのですが…
漢字のテストは定期テストで、小テストは各単元の語句の意味のテスト(または語彙の本から出題したり)をする、その過程で勉強したことが少しずつ語彙力を増やす効果を発揮してくれればいいなと思っています。

それと、いいなと思った取り組みがもうひとつ。
一つ下の学年の先生にお話を伺うと、漢字のほかに「意見文を200字で書かせる」ということをされていました。少し長めの文章を書く、自分の意見をまとめるということに抵抗がなくなると聞いて、これ、わたしも来年度にぜひやってみようと思っています。

授業開きの準備

定期テストまでの単元と帯授業を考えたら、自ずと評価はどうするのか、ふりかえりはどうさせるのか、ノートはどう書かせるのかも考えがまとまってきます。(これについてはもっと前から考えてはいましたが、自分の中でずっと、最終決定までできずにいました)
評価の仕方の提示だけではなく、国語(あるいは全ての教科で)を勉強する上で子供たちに大切にしてほしいことも含めて、1枚のワークシートにまとめて、準備をしておきます。
次の赴任校は今より規模の小さい学校なので、おそらく一学年をひとりで持つことになると思うのですが、赴任先の国語科の先生のお話を伺って、考え直さないといけない部分もあるかもしれません。
柔軟性を大事にしつつも、今年度の反省で、自分の中で理由があって進めたいことは、きちんと意見を言って了承していただかないといけないと思っています。


いつまでも自信がなく、納得いかなくても従うような現状ではいけない。これについては、それを痛感することが1年目にしてあったので…今は肝に銘じています。

1年前は当然ながら右も左もわからず、同じ学年を受け持つ国語科主任の先生のやり方にずっと従うだけでした。実は課題の設定の仕方、評価の仕方、ちょくちょく疑問に思うことが出てきました。でも意見を言うだけの経験もないので、ひとりで満足に授業を組めないわたしは、何でも従わないといけないんだと考えていました。

そうするとまず、経験の浅い講師の指導をされる主事には、主体性がないと叱られます。
そして案の定、学期末に他教科からの問い合わせで評価についての聞き取りがありました。他の教科に比べて、評価が甘いからです。わたしは正直に今まで考えていたことを管理職に話しました。それは1年目でも意見を言わないといけないと言われました。実際そうしていたら、きっと煙たがられて、国語科の中の関係は悪くなっていたと思うのですが…
結果、評価の落ち度はわたしの責任になります。
子供たちにも大切な国語の力が十分着いていないことを自覚しないまま、卒業させてしまうことになります。管理職の先生からはそこを心配されました。
今回のこともしばらく時間が経つと、きっと慣れてないわたしが成績をつけたから…という共通認識で落ち着いてそうな気がします。
そうなったとしても、それはわたしが懸念なり疑問なり、思ったことを口にしなかった責任です。

だから来年度からは、1年後あるいは卒業後こういう力を身につけさせたいからこの学習活動をさせたい、評価もこうつけたい、そういう自分の意見をきちんと伝えられるようにしたいなと思っています。

どれも本当は当たり前のことですね。
でもひとつ一つ、わたしは心に刻んでいかないとあたふたしてそれを曖昧に通り過ぎてしまい、あとで後悔することになると思うのです。
だから自分のために、この記事を書きます。

万が一にも、どなたかのお役に立てたら幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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