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英語がすきなの。②挫折寸前の私を救ってくれた留学先の出会い。

前回のお話はこちら。

ニュージーランドへ着いた翌日の病院で
「インフルエンザにかかっているわよ。」
と衝撃の診断を受けたつづきを書きたいと思います。

※今回は英語学習云々ではなく、ニュージーランド留学でのピンチを救ってくれた人々に関する話になっています。

私はいつも見守られている。


高い授業料を無駄にしていることを虚しく思いながらも、
2日程度は家で処方された薬を飲んで療養していた。

発熱、咳などは次第に落ち着いていったものの、
今度は強すぎる薬のせいでお腹の調子がすこぶる悪い。

数日後、なんとかクラスには合流した。

周りは授業の後ビーチに行くとか、飲みに行くとかそんな話をしているが、私はそれどころではなかった。

とにかく胃が痛く、なにも喉を通らない。
「おかゆが食べたい・・・」と思っても、もちろん作ってくれる人も売っている場所もない。

そんな大ピンチの私を救ってくれた人たちがいた。


ルームメイトは薬剤師。


私は個室ではなく、相部屋で申し込んでいた。

隣のベッドを使っていたのは、オーストリア人の二歳年下の女の子だった。

初めて見た時から、なんて賢そうで、快活そうで、優しそうな人だろう。この人がルームメイトでよかった!と思っていた。

その彼女が、具合がわるそうな私を見て、どうしたのと声をかけてくれた。

私は事情を一通り説明した。

薬が強すぎて、胃薬もなくて、お腹が痛いの・・・。
なにも食べられなくて・・・。

出会って数日の彼女に泣いてすがるわけにもいかず、弱弱しく笑いながらそう伝えると、彼女は
「少しまってて」
と自分のスーツケースをごそごそし始めた。

そして、
「私、薬剤師なの。これは整腸作用のある薬だから、飲んでみて。ほとんど炭でできているから、添加物もないし安心よ。」
と、私に薬を手渡してくれた。

私は「ありがとう・・・」と受け取りながら、心の中で思った。

こんなことって、あるだろうか。
こんなに体調が悪く、
外国で誰も頼れない環境だと思っていたら、
実はルームメイトが医療関係者だなんて。

ミラクルだと思った。

彼女のおかげで、下し続けていたお腹の症状は次第によくなっていった。


しばらくして元気になってからは、彼女が自分の友達グループに私を混ぜてくれた。

仲間が増えていき、徐々に放課後のパーティや週末の旅行も楽しめるようになっていった。



帰国前のパーティでは、彼女に抱き着いて号泣してしまった。


今ではお互いに小さな子供を持つ母になった。

オーストリアと日本で遠く離れているが、強い絆で結ばれたかけがえのないママ友だ。



おかゆと梅干し、食べにいらっしゃい。


お腹の症状がすこしずつ良くなっていったが、正直なところ私の心はほとんど折れかけていた。

慣れない外国の環境。
授業は上級クラスに入れられてしまって、ついていけない。

もう、日本に帰りたい・・・。

抑うつも顔を出し、何度も帰りの航空券を予約してしまおうかと予約サイトを開いては閉じることを繰り返していた。


そんな時、出国前に情報収集のため連絡を取っていた、ニュージーランド在住の日本人女性のことを思いだした。

彼女に、連絡をするだけしてみよう。
会ったこともないひと。何度も逡巡したあと、メールを送ってみた。

すると、すぐに返信が。

「明日の授業は何時に終わりますか?車で迎えにいくから、学校の外で待っていてね。うちへ来て、すこし休んでいくといいわよ。」

脳みそがすぐには追いつかなかった。

再び、こんなことってある?と思っていた。

見ず知らずの私を、こんなにあっさり助けようとしてくれるなんて、ある?と。

事前のやり取りで彼女の素性を知っていたので、藁にもすがる思いで、「よろしくお願いします。」と返信した。


翌日学校の前で待っていたのは、とても美人な初老の女性だった。

彼女はまるで私を姪っ子かなにかのように気軽に呼び、車に乗せ、自宅まで連れて行ってくれた。

そして素敵なおうちのダイニングで、作っておいてくれたおかゆと梅干を出してくれた。

「こういう時はね、食べ慣れたものを食べるのよ。そうしたら元気が出るんだから。」

この言葉に、とうとう涙が決壊した。

ぼろぼろ泣きながら、出していただいたご飯をペロッと食べた。

それまで少しずつしか胃に入れられなかったのが噓のようだった。

緊張と不安と情けなさでこわばっていた身体が、
じんわりと温まっていくのを感じた。


その後もう一度、彼女の車であちこち連れて行って頂き、帰国後もすこしだけやり取りを続けたのだが、しばらくして連絡を取らなくなってしまった。

元気にしているかな。
連絡先を探して、またメールをしてみようかな、とnoteを書きながら思っている。



この二人との奇跡的な出会いがなかったら、私は残りの留学生活を楽しむことはできなかったと思う。

感謝しても、しきれない。


他にも、日本にいる両親が心配して薬を送ってくれたり、(通関で引っ掛かり中身が抜き取られていた涙)、本当に多くの人に支えられて、なんとか留学を終えることができた。



留学を終えて・・・。


留学を終え、無事日本に帰ってきてたどり着いた答えは・・・


住むのは、日本がいい。

外国は、旅行でいい。


という、昭和ならズコーっとこけてしまいそうな、
でもとても私らしいものだった。笑

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