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一人称の視点

私たちの目は、世界のありのままを捉えられない。

中心視野角とか、錐体細胞の捉えられる色とかじゃなくて、
今回扱いたいのは視線の高さ。

サイコロは、正面から見れば四角形の一面しか見えず、
斜め横から見れば二面が見え、
斜め横から俯角を付ければ三面まで見ることができる。

サイコロを余すことなく捉えようとすれば、
ピカソみたいな絵になったり、
トポロジー変換しなくちゃいけない。

この三次元空間で対象を認識する上で、視線の高さは無視できない。


視線の高さは、対人において、もっと大きな意味を持つかもしれません。

高層マンションは居住階が高ければ高いほど価格が高くなりますが、
これは、見下ろすことによる優越感をくすぐるためでしょう。

一方、お茶室では、躙り口という、とても狭い入口から、頭を下げて入り、基本的には全員が座った姿勢を取ります。
これは、どんな身分の人であっても対等であることの演出かもしれません。

品川駅のデジタルサイネージは、ほぼ水平の視線で捉えられるのに対して、渋谷109のフォーラムビジョンは、見上げる姿勢を強制します。

見下ろすこと、正面に見えること、見上げること、
視線の高さは少なからず見ている人の心理に影響を与えることでしょう。


ところで、今年は新型コロナウイルスの影響で、テレワークやウェブ会議が普及した年だと思います。

自分を映すウェブカメラやモニターの位置はどうですか。
ウェブカメラを低い位置に置いてしまい、見下ろすような映像を送ってはいないですか。
モニターを高すぎる位置において、常に見下ろされてやしませんか。

場の力、数の圧力、物理的な力、
ウェブ会議では、これらの力は無力化されていき、
各人が好きなようにデザインできるようになっていく気がします。


お読み頂いありがとうございます。記事が役に立てばうれしいです。このエリアまで読んで頂いた方が、これまでもこれからも幸せでありますように。