鱗の選別

息子と折り紙で遊んだ。
私は、小さい鶴を折った。
息子は、コップに、別の折り紙で折った三角形をセロテープでつけて、
これをフグだと言った。
コップの口をパクパクさせるとフグに見えなくもない。

フグに鱗があるのかは知らないが、このとき、私の目から鱗が落ちた。
折り紙は、なにも一枚で完結する必要はないし、
セロテープを使ってもいい。
要は、楽しい時間を過ごせればよいのだ。
創作の意欲に対して、ものすごく強い制約を課していたんだと痛感した。
そして、小さい鶴を折って、どうだと見せていた自分が恥ずかしくなった。

大人は、子どもの頃に、当時の大人たちに常識を教えられたり、
これまで生きてきた中で、色々な経験をしたりして、
だんだん、人間らしく、大人らしく変化してきた。
常識って、みんなが持っている思い込みを、
自分自身も思い込むってことなんだと考えさせられた。

折り紙の他にも私の目には、様々な鱗がはめ込まれていることだろう。
本当に必要な鱗、社会で生きていく上であった方がいい鱗もあるだろうが、
もはや役に立たない鱗や、かえって害になる鱗も相当ありそうだ。

息子も成長する上でいろいろな鱗を目にはめ込んでいるところだと思うが、
私に比べれば、はるかに現実をありのままに捉えている。
親というと、ついつい子どもよりも上位に立って、
教えたり、指導したりしがちだと思うけど、
親の方が、子どもを見習った方がよいこともたくさんありそうな気がする。

息子に害のある鱗をはめてしまわないように、
自分自身の人生も見直せるように、
鱗の選別をしようと思う。

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