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承認欲求の呪縛

馬鹿なことをしてる自分というものを、不意に演じてみたくなることがある。
雪が降ってる中をアイスを買って食べながら帰ったり、
次の日朝からバイトなのに朝まで飲んでそのまま出勤したり、
4時間くらいかけてどこだか知らない街まで歩ってみたり、
そういうことをしている時、ある種の気持ちよさみたいなのがある。
その行為自体にではなく、「その行為をしている私」に気持ちよくなっちゃってるわけだ。
「ああ、俺って馬鹿だな」みたいな。「自分のことを馬鹿って言っちゃう俺」みたいな。
ふとそういう馬鹿な俺を演じたくなって、実際にしてみて、インスタとかにも投稿しちゃって、そういう一連の流れをして、そういう自分に満足する。そういうことをする自分が酷く嫌いである。
そもそもそういうことをしたくなるってこと自体が、普段の私のつまらなさを表していると思う。
普段が面白味のない人間だから、わざわざ意識して馬鹿なことをしようと思うわけだし、そういうことをする自分に酔えるのである。
ほらほら、俺って馬鹿な人間でしょ?面白いでしょ?
みたいな意図が見え見えである。
馬鹿なことをしたくなるっていうのは、自分がつまらない人間であることのある種のコンプレックスの裏返しなのだ。この行為自体がもう本当につまらない。でも発作のようにそういう演技をしたくなる。これが承認欲求の呪いか。
「俺ら陽キャっしょ。充実してるっしょ」みたいなアピールが苦手でバンド系とかイベント系のサークルに入らなかったのに、私はそれと同質の行為をしているわけである。
本当に嫌になる。ムカつくやつだ私は。
そしてこういうことをnoteに書くことにも、ちょっと気持ち良くなっている自分がいる。
「こういうことnoteに書いちゃうんだぜ、俺って」
どうか温かい目で見守っていただけたら、幸いである。


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