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バンドワゴン効果

今朝トラックドライバーがスーパーに荷物を搬入していて、荷物を足で退けていた。
それを観て私は「足で退かしたな」としか思わなかったのだが、
その後に佐川のスタッフが荷物を投げ捨てたというニュースを思い出して、「社会的にはどうなのかな」と考えてしまい、クソつまらない思考をしているなと思った。
私がいいなら別にいいじゃないか。
私はスタッフじゃないし、あの荷物の持ち主でもないし、そもそも仮に持ち主であっても中身が無事ならどうでもいい。
誰が怒ろうがなんだろうが知るか。
そもそも「社会」って何を指して「社会」なんだ?
私が生きているのは紛れもなく一つの「社会」なのだが、そういう意味ではなく、私が頭の中で一つの行動軸にしてしまっている「社会」のことだ。

例えば、道にゴミが落ちてたら拾う、お客様には真摯に対応する、「大人の対応」をする、老人には優しくする、歩行者は譲り合う…。
当然しなければならない行動として「社会的」に共有されている数々の事項。
無論私だってそれに沿って生きているのだが、ではそれを「したくなかったら」どうするのか?理由も考えず、ただ「そうするべきだから」という理由で従っていないだろうか?
炎上などもそうだが、「怒るべき」という理由だけで怒っていないだろうか?

私たちの頭の中にある「社会」とはなんのことだ?
テレビの情報か?インスタか?ツイッターか?それとも週刊誌か?
テレビなんて一部の真実をあたかも世界中の真実のように語っているだけの虚構のメディアだ。
インスタで偉そうに語っているインフルエンサーだってただの一般人であり、加工された理想の世界を演じているだけに過ぎない。
ツイッターと週刊誌は論外だろう。

何かの論調があり、それに賛同する人が比較的多かった、という結果だけがバンドワゴン効果のように共有され、流布していないだろうか。
もう一度自分に問いたい。
私たちの頭の中にある「社会」とはなんのことだ?
くだらない何かに惑わされているな、と思った。

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