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癖の強すぎる、わいのとーちゃん。

まず、自分の家族構成を話すと、
・自分・父親  の2人。
母親はヴァイオリンの先生。オーケストラのコンサートマスターとかもやってて私は常にクラシックを耳にしてて小さいながらヴェートーベンとかモーツアルトとかの曲は覚えてた。父も母も明るくて愉快な家族だった。

音楽を共通して知り合ったらしい両親。2人のグアム旅行で父から放出された体液によって私は誕生したと母親に言われたのは今でも覚えている。(笑)
だから私は実質グアム生まれである。

もちろんヴァイオリンを母から習ったこともあったけど、私は続かなかった。
今までピアノ・ヴァイオリン・公文・水泳・ダンス・硬式テニス・英会話・作文。親は私にたくさん習い事をさせてくれた。教育熱心でひとり娘の私になんでも与えてくれた。当時のことを考えると私は本当に贅沢娘だったと思う。
父親の強い意向で、チャイムの鳴らない小学校に行かせるため父は家を購入。

だけど、わたしが8歳のころに両親が離婚をした。そこから、高校を卒業するまでの10年間、わたしは父親と2人家族きりで生活をし続けた。

わたしは、自分が保育園に通っていた頃からなぜか父親のことを「とーちゃん」と呼んでいる。呼ばされていたのかは分からないが、小学生になって友達の前で「とーちゃん」と呼ぶのがすごく恥ずかしくて、でも「お父さん」とか「パパ」って今更呼ぶのも恥ずかしくて「ねえねえ」って友達の前ではいつも言ってた。

わたしの「とーちゃん」(以下とーちゃん)は、たぶん変わり者だ。
山口県生まれの広島育ち。昔から大人しくて、新聞の一部に作文が掲載されたり、高校の奨学金をもらうために猛勉強して親になるべく迷惑をかけないことを考えながら真っ当に生きてきた人間。ただのクソ真面目君って本人はいうてるけど、想像できる。それでとーちゃんは合格率10%の国立の学校に合格した。今でもNHKのロボット大会とかに出てるような理系の名門校。東京の大手企業でヤリ手として有名施設の建設業に携わっている。毎日とっても忙しそう。

字がとてもうまくて、わたしの実家にはとーちゃんが高校生のときにラジオで好きな歌手の音楽をカセットテープに録音していたものがおそらく100個以上はあった。物持ちが良くて音楽を大切にする男。リビングではNHKをミュートで流しながら朝からジャズを流しているようなロマンチスト。(朝も夜も。)
そして朝風呂に1時間以上かける変な人。湯船に15分×3セット浸かってる合間に全裸でリビングでトレーニングをしてるようなマジで変なやつ。

私が毎朝セーラー服に袖を通して朝ご飯をむしゃぶっていても、テレビの前でトレーニングしてるから「ねぇ!!!見えない!!」なんて言って平和な朝を過ごしたり、父が湯船に浸かってるときに私が元気よく「いってきまーーーーす!!!!!」っていうと進撃の巨人みたいに湯船から上がってきて全裸で玄関までいってらっしゃいをしてくれたり、そしてそのまま全裸でベランダへ出て私の姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれたり…(全裸の話しかしてないな)

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(父のお気に入りの❤️❤️❤️❤️刺繍入りオーダーパンツ)←癖

高校の時も片道1時間以上通学時間がかかった。バドミントン部に所属していて、終了時刻は20時だったので結局家に着くのは21時半とか。でもちゃんととーちゃんは私が家に着いてご飯がぴったり完成するように、玄関に着くと外からでもいい匂いがしていた。料理も上手な父だった。夜ご飯は時々2人で2〜3時間話すことも、中学でいじめにあったときも毎日何時間も一緒に相手をしてくれたことも。

2人きりの家族だったしもちろん親子ゲンカをすることはあったけれども、
結局私が1番頼れる・尊敬している人は父親だった。
たったひとりの私の「おもろいとーちゃん」であり、「素晴らしい人間」。
私がこういう変なやつに育ったのも「とーちゃんの娘」であるから。
家族ぐるみで仲良くしてくれている友達は、私たち親子を見てすごく納得がいくらしい。

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(テスト期間、糖分補給のために実家の食料倉庫のおかしスペースから無断で搾取して食べてたらある日これが貼られていたとき。バレてたか…)

そんな父は、いま、一人で優雅に住んでる家のリフォームをしたり、高級な音響機具を揃えたり、休みの日は昼過ぎからカープの試合を見ながら酒を飲んだり1人なりに充実しているように見える。

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私が就職をして2ヶ月後にいろんな事情があって一人暮らしを始めた。
しかも実家から徒歩15分。最寄り駅も同じだし、改札を出て反対口なだけ。
私たち家族は自分ひとりの時間が必要だった。
たまに夜中にドライブをして実家の前を通ると、しっかり明かりが点いていることを必ず確認する。こんなに近くにいるのに、半年に一回しか連絡を取らない時期も当たり前にある。私たちは不思議な家族かもしれない。

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酔って父親に泣きながら感謝のメールを送ったこともある。
この親にして、この子あり。だとするならば、私は父を反面教師にしつつ、父のような賢くて・真面目で面白くて愉快な人間になりたい。父のような部分を持っている人と幸せな人生が送れることを人生の目標の一つとして掲げている。

短気で人に厳しくて酒豪なところは似てしまったので、これ以上悪化しないことを願う。(笑)

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とーちゃん、ありがとう。

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父親の誕生日と父の日に招待したライブ。これからも親孝行できるように精一杯仕事を頑張ります!!!!