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単なる偶然と言えば、それまでの話

先日、お寺に一通のメールが届きました。

海外在住の日本人女性からなのですが、高野山でヨガの合宿をしたいとのこと。うちのお寺は以前からヨガ団体が宿泊することが多く、ホームページでもその際の写真を掲載しているせいか、新規のご依頼もちょくちょくあります。

というわけで、ヨガ合宿に使いたいという問い合わせ事態は珍しい事ではないのですが、差出人の名前を見た瞬間に「あ、この人知ってる気がする」という感覚に陥りました。なんだか、奥歯にものが挟まったような感じですが、どういう知り合いか、思い出すのに少し時間がかかりました。

ヨガ、差出人の居住国、そして、メールに書かれた氏名、そういうものをヒントに自分の記憶を手繰り寄せて、ひとつの結論に達しました。きっと、自分が十年以上前に勤務していた会社で、一緒に働いていた人だ、と。

所属している部署が違うので、さほど接点はなかったのですが、共通の友人が一人いたので、入社後、一年ほどで退職してしまった彼女のその後を風の噂程度には知っていました。だからこそ、彼女の存在を思い出すことが出来ました。「とはいえ、別人の可能性もあるよな。別段、珍しい名前でもないし」

自分の中では、ほぼ確信に近いレベルでその人だろうとは思ったものの、一応探りを入れるつもりで、問い合わせへの返信がてら「以前、〇〇という会社にお勤めではなかったでしょうか?」ときいてみましたら、案の定、ビンゴでした。

彼女が高野山にやってくるのは半年先の話ですし、この出来過ぎた偶然に何らかの意味があるのか無いのか、その答えがでるのは更に先の話でしょうが、これも何かの縁なのかと思います。将来に対する何らかの伏線かもしれません。なんせ、人と人との縁、それが紡ぎだす物語の壮大さと緻密さをここ数年で何度も体験しましたから。

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