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【書評】読書のススメ_7月13日

すっかり暑くなって参りましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

今回の書評は西富が担当です。
山手台教室では僕が全く姿を見せないことから死亡説が流れてるとか流れていないとか(ちゃんと元気に生きております!)

近々山手台教室に行くことになると思うのですが、その時に
「この人誰だっけ…?」
的な空気になると悲しいので、この書評でちゃんと存在アピールしておこうかと思います。

『センスは知識から始まる』 水野学

デザイナーの頭の中が知りたい!

このところ僕の中でデザインブームが止まりません。毎日授業後にパソコンのデザインソフトを開いては悪戦苦闘。仕事でもお世話になっているデザイナーの方々にご指導頂きながら、少しずつですが成長を実感しています。

そもそも僕はデザインとは無縁というか、むしろ棒人間すら生徒に伝わらないレベルです。学生時代も美術は苦手科目。
「休日は美術館に行っています」
とか言う人インテリっぽくてカッコいいなと思って美術館に行ってみても、なぜか30分ぐらいで展示を一周終えてしまうという体たらく。

自分にはセンスがないから

そういう言葉で片付けてきましたし、実際にそう思っていました。
勉強については生徒たちに「才能とかセンスとか、そういう曖昧な言葉で片付けるな。勉強なんてやり方と工夫の問題だ。」なんて偉そうに言っていたにも関わらずです。

さすがにダブルスタンダードが過ぎるので、ちゃんと勉強してみようと思って始めてみたんですが、これがめちゃくちゃ面白いんですね。

なぜ学生時代に美術の授業をマジメに受けなかったのか……!

と思うぐらいに面白く、奥深い分野です。
そうしてデザインにハマっていくにつれて、僕の中では
「デザイナーさんの頭の中が知りたい!」
という欲求が膨らんでいきます。

僕は勉強する時は自分の学習法についての知見をフル活用して書籍を漁りまくって、まずは知識を詰め込みまくるスタイルなので、amazonで片っ端からデザインについての本を買いまくった結果出会ったのがこの本です。

根深いセンス信仰に真っ向から異を唱える本

この本の主旨はタイトルそのままで
「センスは知識から始まるんだよ」
ということです。もう少し詳しく言うなら
「センスは特別な人間が持っている不思議な力とかじゃなくて、必要な知識を蓄積し、それらを論理的な考え方に基づいて運用するスキルなんだよ」
的なことです。

少し、本書の はじめに から引用します。

 僕はたいてい手の内をあっさり明かします。
(中略)
 もしも僕が「ものをつくりだすアイデアの箱」ならば、空っぽになるまで自分の持てるすべてを、さらけだしているつもりです。
 箱の中身のほとんどは、プラクティカルなものです。つまり、方法を知って、やるべきことをやり、必要な時間をかければ、皆できるようになることです。
 僕が特別な人間だからできる、というわけではありません。
「水野さんのお話はよくわかります。でも、すごい企画を出すにはセンスが必要でしょう。ひらめきやセンスについて、教えてほしいんです」
 どういうわけか、多くの人がこう思うようです。
 空っぽになった僕という箱の底に、たったひとつ、きらりと光る「センス」というものが残っているはずだと。

まさに僕自身もこう思っていました。
「でも、そうじゃないよ」
というのがこの本の主旨。

ここから本の内容は著者である水野さんがデザインをするときにどんなことを考えているのか、それはどんな知識に基づくものなのかを実例を交えて紹介されています。

まさに「デザイナーさんの頭の中がわかる1冊」で、僕が求めていた本でした。そして

「知識を詰め込むことと、論理的に思考することなら得意分野だ!」

と息巻いてデザインを絶賛勉強中なワケです。
(ちなみに今はフォントの奥深さに感銘を受けてフォントについて勉強しています)

デザイナーと塾講師の共通点

これは本の内容と直接関係はないのですが、デザインを勉強していて感じたことのひとつが

「これは塾講師が授業の構成を考える時と、頭の使い方は一緒だな」

というものです。いかに伝えたい内容がちゃんと伝わるようにするか。情報を把握し、整理し、構成に落とし込む。

僕らは普段「しゃべる」という行為でそれを達成しようとします。書いてもせいぜい板書(とか紙に書いて説明する)ぐらい。
でもデザインを勉強すると文字のフォント(明朝とかゴシックとか)や配置、大きさ、色、ちょっとしたイラストなどがどれだけ理解を助けるか実感します。
それはつまり、今まで自分がどれだけ制限された手段の中で「伝える」をしていたかを実感するということで、塾講師にとってデザインの勉強は自身の表現力の幅を広げる素晴らしい方法かもしれません。


『よろこびの歌』 宮下奈都

大好物×大好物×大好物

何度か書きましたが、僕は青春小説が好きです。「頑張れー!」って気持ちになるから。
そして音楽小説も好きです。「文字だけで音を聴かせる」という離れ業に作家さんの凄さを実感するからです。(単純に音楽も好きです。聴くのが)
さらに宮下奈都さんという作家さんも好きです。とにかく文章が綺麗だし、描き出す世界(物語)も素晴らしく、読中も読後もなにせ気分が良いです。

そんな宮下奈都さんが音楽を題材にした青春小説を書いているワケですから、読まないワケがないですよね。僕にとってはハマチとマグロとサーモンが載った海鮮丼と同義です。

読みやすさ◎

この本は、音大付属高校の受験に失敗し、普通科の女子高に通うことになった女の子が、仲間たちと共に挫折を乗り越えていくみたいなストーリーです。

普段読書をしない人にも勧められるぐらいの読みやすさ。設定もわかりやすいし、学校が舞台なのでイメージもしやすいと思います。
1冊が全7編の短編連作で構成されているので、少しずつ読み進めることもできるので、そこも大きなポイントです。

「共感」の持つ効用

さて今回は趣向を変えて、読書の効用をひとつご紹介します。
イギリスの大学の研究に、どのような活動がストレスを軽減するかを調べた研究があります。その調査では読書がストレスの軽減に大きく貢献するという結果が得られました。数値的には
読書:68%
音楽鑑賞:61%
コーヒーを飲む:54%
散歩:42%
という結果です。

読書して音楽聞いてコーヒー飲んで散歩している僕はどんだけストレス溜めてるんだろうと怖くなったりしましたが…。
(体感のストレスはあまりないのですが…)

読書がこれだけストレスに効く理由のひとつが、孤独感の軽減です。
読書を通して登場人物に共感することで、孤独感が軽減されるということです。そしてこれは音楽にも言えます。

本にしろ音楽にしろ、レビューを見ると必ず登場するキーワードが「共感」です。登場人物に共感した、歌詞に共感した、などですね。共感するということは、「この感情は自分だけのものではなかったんだ」と知ることです。

こんな思いを持っているのが自分だけではないと知ることが、孤独感の軽減、ひいてはストレスの軽減に繋がるのです。
その意味では仕事後に飲みに行って上司の愚痴を言い合うという行為と同じです。

僕たちは他人のことをどれだけ知っているか

僕は一日一回は生徒に読書を勧めるという敬虔な読書教信者なのですが、その時にする話として「僕たちはどれだけ他人のことを知っているか?」というお話があります。

・誰にも言えない感情
・言いたくても言語化できない感情

というものを、誰しもが抱えて生きていると思います。
それらの感情は基本的に自分だけのもので、誰とも共有できません(意図的に共有するのを避けている場合も含みます)。

それは家族であったり、仲の良い友達であってもそうでしょう。関係が近いからといって、その人が信用できるからといって、全てを共有するワケではありません。

時として、共有せずに一人で抱え込む感情は孤独感となってその人を苛むこともあります。家族と過ごしても、友達と遊びに行っても、同僚と飲みに行っても、その孤独感は晴れたりしません。

ですが読書(音楽も)は凄いもので、多くの本を読んでいると、そんな一人で抱えていた感情を共有できる人が物語の中に現れます。自分では言語化できなかった感情を代わりに言語化してもらったような、自分の感情に名前をつけてもらったような感覚に救われることがあります。

特に10代は自己を形成する仮定で孤独感に苦しみやすい時期で、そういった救いに大変支えられることがあります。僕自身も10代の時に読んでいた小説や聴いていた音楽には
「この感情は自分だけのものじゃなかったのか」
という感覚を教えてもらい、大いに助けられた記憶があります。
だから今になってもそれらの作品は特別です。

共感できなかったはずの感情を描写する

話を本の紹介に戻しますと、宮下奈都さんはそういった「生身の人間同士では共有しがたい感情」を描写するのがとても上手い作家さんだと感じます。(そもそも本書は主人公の「挫折」から始まるワケですが、この挫折に伴う感情がすでに他人とはなかなか共有できないものです。)

こういった本に習慣的に触れていること自体が、思春期の人格形成を支えてくれるということもあるんじゃないかなーなんて思ったりしています。

まぁあれやこれやと理屈を述べましたが、読書なんて基本的に「楽しいから読む」で十分ですので、リンクにあるamazonページのあらすじなどで気になった方は貸出コーナーをチェックしてみて下さい。



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