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#3 フィルムが無くなるまで

今回は、Official髭男dismの『115万キロのフィルム』について考察していきたいと思います。
(※8/14日に全国で公開される浜辺美波さんや北村匠海さんが主演の実写映画、『思い、思われ、ふり、ふられ』の主題歌でもあります。私は、お二方が主演だった 実写映画 『君の膵臓を食べたい』でのご活躍を見て、素晴らしい俳優さんたちだなぁと感じていましたが、まさかこんな巡り合わせがあるとは思いませんでした。また、この映画の主題歌でもあるMr.Childrenの『Himawari』も非常に良い曲なので、何処か別の機会に歌詞解釈をしたいと考えています。)

タイトルの115万キロのフィルムとは?

 この曲のタイトルである、『115万キロのフィルム』とは、映画の撮影などに使われているフィルムが、1秒を記録するのに約457mmです。それが115万キロあると、なんと人生80年分になるそうです!!
 実は、これをはじめて知ったときに
「本当にそうなのか?」と本気で疑ったんですよね(笑)それで、実際に計算した結果……

やっぱり、言われているとおりでした!!疑ってしまって、申し訳ありませんでした🙇(これ誰に向けた謝罪なんですかね?)

↓↓↓↓↓
これが、実際に計算したものです!!

主演はもちろん君

 この曲の主人公のような人物は、『君』です。ここで、何故「主役」ではなく、「主演」なのか気になっている方もいるのではないでしょうか?
 ここでの主演は、映画やドラマの主役そのものではなく、その役を演じているという意味です。
 そして、「助演で監督でカメラマン」=僕なんですよね。(少し、欲張りにも見えますが…)

要するに、これは僕が主演である彼女の助演として共にストーリー(映画)を作りながら、ひとつの作品にしていくという設定だと考察しました。

ここまでのダイジェスト 

 「初めて喧嘩した夜の涙」は、きっと二人に起きた辛い(悲しい)出来事でしょう。個人的に胸が痛むと言いながらも、そのまま見続けるのは幸せな時間も辛い時間も二人で共有するというものですね。
 そして、この章節では二人の過去について「起承転結」がまとまっているところは、まるで映画のようですよね!

写すと映す

 意外に、皆さんは「写す」「映す」の違いを知っていますか?
 そうなると、『ビデオに自分が映っていた』と『ビデオに自分が写っていた』は厳密には意味が違います。

「写す」:写真やビデオの場合、カメラで写すのは『写真    やビデオを写す』になりますが、ビデオを見ていたら自分が映っていたという意味

「映す」:ビデオを見ていて、自分が被写体として写されていたという意味

とりあえず今の所は

 ここは、倒置法ですよね。(「今の所」を強調するため)まだまだ、この先、サムネイルになるシーンが生まれるのかもしれませんね。
※サムネイルは、大きなファイルを開かなくても、その中にどのような画像・内容があるのか、ひと目で分かるように縮小画像を見せること(You Tubeのサムネとか、本の表紙みたいなものですよね)

情けないところ=キャパオーバー

「10年後くらいにはキャストも増えたりもするんだろう」

 この歌詞には、今まで経験のなかったことが待ち受けているでしょう。結婚後は、夫婦になっての同棲や子供の出産・育児など大変なことも沢山あります。また、夫婦ともに生活が今までと違い、もっと余裕のない生活を過ごしていくでしょう。   
 取り繕っていた自分のメッキが剥がれてしまうけど、それも含めて許して欲しいという想いなのでしょう。

愛しい日々・尊い日々

苗字がひとつになった日(結婚記念日)も、何ひとつ代わり映えのない日々(日常)も、全てが大切だということですね。

酸いも甘いも噛み分けない

 ここでは寄り添ってとなっていますが、「酸いも甘いも噛み分ける」という故事ことわざがあります。(経験豊富で、甘い経験・苦い経験にも精通しているという意味です。)ここでは、これからもその経験をともに分かち合うという意味でしょう。

歌詞が表す時間軸

一番では、過去。二番では、未来。そして、三番では在進行形と、二人が歩み続ける時の流れを表しているのでしょう。

まとめ

 二人が歩む人生(幸せな時間も辛い時間も)を表しているこの曲は、まさに一つの映画ですね。
 また、近年はフィルム映画が衰退してしまい、デジタルへ移り変わっています。ですが、フィルムには未だに色褪せない、魅力があります。きっと、この二人にはそのような何処か特別な映画のようなフィルムで撮影してほしいという願い・想いが籠もっているのかもしれません。
 それでは、また次回!!

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