怒り依存症(スリップの体験)

こんにちは。ACのあおです。

実は先週、スリップしました。スリップは嗜癖に走ることです。

アルコール依存症の方ならアルコールを飲んでしまうこと、薬物依存症の方は薬物に手を出すことです。

わたしは、感情や情緒に問題があり、怒りを嗜癖として使います。カッとなって癇癪を起こすのですが、その症状が出ました。恋人に対してです。

恋人から、あるイベントの進行に対して意見の対立があり、お互いが平行線となり、わたしは怒り狂い、相手は暴力でそれを止めようとしました。(数発叩かれました怪我はありません)

相手が叩いたことは、相手がしたことなので、わたしの問題ではありません。わたしの問題は、不快に感じた感情を「怒り」や「癇癪」で表現したことです。しかし、それに対してわたしは無力です。わたしは怒りの依存症者なので、一度その嗜癖が出ると自分でコントロールはできません。それに対してわたしは無力なのです。ですから、アンガーマネジメントなど、自分の力でコントロールすると言う方法はわたしには表面上の対処はできるかもしれませんが、根本的な解決にはなりません。アルコール依存症の方にアルコールを飲むなと言っても意味がないのと同じです。

この怒りの嗜癖はわたしの生育環境から受け取ったものです。その影響に対してわたしは無力なんです。わたしでは治すことができません。そのことをミーティングで正直に告白しました。そうすると、不思議な安心感を得られて、恋人とも元の関係に戻りました。(もしかしたら、共依存の関係かもしれませんが、わたしはいまこの状況を自分でどうにかしようと思わず、神様の配慮に委ねています)

ここで、つくづくわたしが感じたのは、「わたしはそれを治せない」と言うことでした。

ACや、共依存、怒りは依存症です。ショックを受けられる方もおられるかもしれませんし、それが、否認につながるかもしれませんが、ACや共依存、怒りと言った依存症は、一生治りません。わたしの中にずっと存在し続けます。

しかし、そのアディクションを使わないで生きる方法があります。12のステップを踏むことです。そのアディクションを使わず、平和に平安に生きていくことを、回復そして、問題の解決と呼ぶのだと、わたしはこのエピソードで学びました。

無意識にACはもうミーティングや12のステップを使わないで生きられるのではないかと思っていましたが、わたしはこのプログラムを使い続けなければならないと感じました。ステップを踏まないで生きていくのだと、12のステップは単なる宗教になってしまいます。

12のステップは決して宗教などではありません。自分の人生を変えるために行わなければならないものなのだと、今回の出来事を通して痛感しました。

ステップ4の棚卸しを嫌だ嫌だと避けていましたが、今回の出来事を通して、やり通そうと思いました。そして、ステップ5でもう一人の人に話を聞いてもらおうと思います。

わたしは自分の人生を変えたいです。でも、わたしはそれができません。神様、わたしに勇気をお与えください。

ありがとうございました。神様の豊かな祝福と恵みが皆さんの上に豊かにありますように。

あお

サポートは全てミーティングの献金へ当てさせていただきます。 ACや依存症の問題で苦しんでいる仲間の為にも、サポートをよろしくお願いいたします。