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ステップ1.私たちはアディクションの影響に対し無力であり思い通り生きていけなくなっていたことを認めた。

こんにちは。ACのあおです。今日はステップ1について、感じたことを書いていこうと思います。

初めてミーティングに参加して、12ステップについて知った時、ステップ1はあまり大切だと思っていませんでした。多分、ミーティングに繋がったときはすでにどうにもならなくなったと感じていた時だったので、すでに無力を認めている状態だったのかなと思います。しかし、ミーティングに通うに連れて、だんだんとこのステップ1の大切さがわかってきました。

「無力」であることを認めることは、自分は無能で、弱い存在だと認めることとはまた違った感覚だということが、ミーティングに通い始めてからわかってきました。私はまだ、ステップ4をしている最中なので、このステップ1がとても大切だという事がよくわかっています。

ACは目に見える嗜癖の行動がありません。あるひとは、ACは問題を嗜癖として使っているということを述べています。

ACの問題には、恨み、恐れ、孤立、怒り、承認を求めること、世話焼き、コントロール、見捨てられ不安、権威を恐れる、凍りついた感情、低い自己評価、過剰に発達した責任感、共依存、抑圧された性などがあります。

私はこれらすべての要素があります。これらに対して、私は「無力」であることを認めます。ミーティングに通っていて、私は上の問題の一部は回復をしていると思いましたが、問題は以前として残っており、私は、単に「否認」していただけだと気がつきました。

私にとって「無力」を認めることで、その問題があることを認めて、その対応をとったとしてもそれはそれでいいんだと思えるようになりました。その時はそうするしかできなかったんです。私はまだステップ4の途中なので、まだ、私の生活はどうにもならなくなっています。まだ、無意識の中で認めていないところも多いです。問題はミーティングに行き始めてから手放せていると感じていましたが、以前として、私の中の問題として残っていることに気がつきました。しかし、以前と比べて、それに対して極端に落ち込むということがだんだんと少なくなってきています。

以前は真実の自分を自分で眺めたときに、私を全ての人に認めてもらおうとしていました。本当の自分全てを他の人に認めてもらわなければ、行動に移せませんでしたが、最近は弱いまま、問題を抱えたままでもいいんだと、自然と自分で自分を受け入れられるようになってきています。これは、ステップ1で「無力」を認めたからです。私自身が、「無力」を認めたとしても、私は滅びずに今生きています。そんな風に振る舞ってしまう自分自身に対して「無力」なんだ。そして、「無力」のまま生きていていいんだと思えるようになりました。

問題が起こるたびに、私はこのステップに戻ります。私の現実の振る舞いは今も問題だらけです。でも、「今は」とにかくそれでもいいんです。自分を超えた大きな力の存在があることがわかっているので、私は自分で自分にそういうことができます。前は、だれかに認められないと、だれかにそう言ってもらえないと不安でした。だれかにそう言われても、不安で思い悩んでいました。今、自分でもこういう言葉を書いている自分に驚いています。

無力を認めることはとても偉大だと感じています。こう思える力を与えてくれた、神様、これまで私に関わってくれている方、仲間に感謝しています。

読んでくださってありがとうございました。

神様に感謝します。今日一日、神様のお恵みと祝福がありますように。


サポートは全てミーティングの献金へ当てさせていただきます。 ACや依存症の問題で苦しんでいる仲間の為にも、サポートをよろしくお願いいたします。