見出し画像

忘れたとしても推理小説を読む

二十歳の頃、大学生の元同級生に、私が書いた小説を読んでもらった。
相手から返ってきた感想は、「これじゃ、小説家になれないと思う」。
この時からだ。私が小説を読めなくなったのは。

自分の書いた原稿すら、読み直しできない。
当時、小学生を中心に流行していた児童文学も、読もうとチャレンジしてみた。だが、最初の三行が、何度読み返しても、理解できない。文字自体は読めるのに、何を意味しているのか、全然わからなかったのだ。

その時、私の身に何が起きていたのか。
今ならわかる。文字が読めなくなるのは、軽度のうつ病の症状に当てはまるらしいのだ。
音読すれば、言葉を理解できる場合もある。私も当時、そうしていた。自分で声に出して読んだ内容を、録音して聴いていた。

小説が全然読めなくなったことを、後日、同じ友達に相談したことがある。
返ってきたのは、こんな言葉。
「誰でも、病気っぽいところはあるもんだよね」

小説を読むために努力したいと思い、買った本を見せると、
「私も小説、読めないよ」

うつ病の他の症状として、記憶力が低下することもあるそうだ。
私の場合は、同じ家の中で、部屋から台所へ移動しただけで、何をしに来たか忘れることが多々あった。
当時の私はまだ二十歳。さながら認知症の老人のような忘却ぶりだった。
そのことを、例の友達に相談すると、こう返ってきた。
「行動する前に、メモしたら?」

一日のうちに、いったい何度、否定されただろうか。
「誰でも病気っぽいところがあるものだ」と言われても、私はそれまでなかった変化があり、困っているという話だったのだ。
「私も小説読めない」というのも、ありえない。何故ならその友達は、文学部の二年生だったのだから。
それと「行動する前にメモ」なんて現実的ではない。家の中で、冷蔵庫から飲み物を取りに行くのに、「これから飲み物を取りに行く」なんて、いちいちメモ帳に書いてから席を立つ人がいるだろうか?

それでも、当時はその友達に感謝していた。
他に、私の話を聞いてくれる友人がいなかったからだ。

それから数年経ち、例の友達から、久しぶりに連絡が来た。
メッセージには、こんなことが書いてあった。
「前の時、見せてもらった小説、本当はよく書けてると思ってた」
小説家を諦めて、三年くらい過ぎ去った頃だった。

今でも相変わらず、小説家を目指してはいないのだが、ずっと敬遠していた読書を再開しようということになった。
というのも、ゲーム制作の相棒が、とある小説をサプライズでプレゼントしてくれたのだ。

小説家、西尾維新「掟上今日子の備忘録」。何年か前にテレビドラマにもなった推理小説だ。

先日、西尾維新が原作のコミック「暗号学園のいろは」を読んでみたら、とても面白かった。岩崎優次の作画も美麗だったし、原作者の西尾維新がどんな文章を書くのか、興味が湧いた。

そう話したその日の内に、相棒は西尾維新の小説を買ってきた。
「ゲームのシナリオを担当するなら、質の良い文章を摂取した方がいいです」
こんなふうに親身になってくれる人が、二十歳の頃の私の周りにいたら、どれだけ救われただろうと、とても感激した出来事だった。

推理小説なんて何年振りに手に取ったかわからないが、リハビリと思って、読んでみよう。

掟上今日子のあだ名は「忘却探偵」。
うつ病にかかり、忘れっぽかった私には、ふさわしい小説だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?