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君の意見は聞いてませんという出来事

若い頃は特に、職場の上司に「君の意見は聞いてませんよ」という態度を取られることが多かった。
十九歳の時、一年間、事務のアルバイトをしていた。
当時、係長のもとに、六十代くらいの男性が、しばしばお客さんとして顔を出していた。
その日も男性はやって来て、立ったまま係長と何かを話していた。
どういう経緯だったのかは覚えていないが、「グスベリ」って何だろう、という話題になった。

「グスベリ」というのは「グーズベリー」の通称である。
ジーニアス英和大辞典によるとgooseberryと書き、ユキノシタ科スグリ属の落葉低木であるらしい。甘酸っぱい実をつける。何故ガチョウという意味のgooseという名前がついたのかは不詳だそうだ。

グースと聞いて、私がすぐに思いつくのは「マザーグース」だ。
イギリスの子供向けの伝承歌謡の総称である。谷川俊太郎さんが日本語に訳した詩集もあるようだ。
と言っても、現代の若者は、マザーグース自体を知らないかもしれない。

第一巻の「ハンプティ・ダンプティ」を紹介する。
ちなみにハンプティ・ダンプティというのは「ずんぐりむっくり」という意味。卵に手足のある人物として描かれることが多い。

ハンプティ・ダンプティ へいにすわった
ハンプティ・ダンプティ ころがりおちた
おうさまのおうまをみんな あつめても
おうさまのけらいをみんな あつめても
ハンプティを もとにはもどせない

当時の私は、たぶんこのマザーグース関連の知識として、「グスベリ」の正しい名称を知っていたのだろう。

だから職場の上司たちが「グスベリって何?」と言って、インターネットで検索し始めた時に、私は口を開いた。
ガチョウの実という意味です、と。

すると、その時の二人は、微笑を浮かべただけだった。
そして、何事もなかったように、インターネットでの検索に戻った。

私は察した。
私の意見など聞いていないのだと。

その後も似たような出来事に見舞われて、私はどんどん貝のように、口を閉ざすようになっていった。
役に立とうとすると裏目に出る。
私の意見は誰も聞いていない。

創作においても「あなたの読みたいものを作れ」という人はいても、「あなたの好きなものを作品にしなさい」「あなたの意見をテーマに据えろ」という人は、あまり見かけなかった。

誰も私がどう思っているか、どう感じているかなんて、関心がないのだろう。創作においても、事務仕事においても。
黙って雑用をこなしていろ。
まともに仕事ができないのだから、せめて暗い顔をするな。
そんな圧力が、他の明るい性格のアルバイトと比較されるたびに、ひしひしと感じられた。

こういう体験を経ると、作品においても私情を挟むべきではないと思うようになっていくものだ。
自分の感じたことを作品にしているプロの小説家などを、ニュースなどで目にするたび、体がかゆくなるほどの羨望を感じた。
この人は感じたことを表現することを許されているけど、私は許されないのだと。

あれから月日が流れた。
いじけていた十九歳の私は、どうなっただろう?
少しずつ、noteで感情を紐解く、今がある。
自分の心に鈍感でいたくはないと思ったからだ。


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