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嫌われる主人公は猫を助けよ

私は文章を書くことが好きだ。
しかし、いまだにどんなジャンルが向いているか模索している。
小説や童話、ゲームシナリオなど、さまざまな創作に挑戦し、自分の適性を探ってきた。
シナリオの書き方に限ってみると、映画だのゲームだの、いろいろな媒体の本が、本棚に取り揃えられている。ハリウッド脚本術の本だけでも、三巻まで揃っている。
結果は出せていないものの、我ながら足掻いてきたのだなぁと感慨深くなるものだ。

私は、本を一読しただけでは、内容をすぐに理解することができない。
おそらく生来、のんびりした処理速度の脳みそを持っているからだろう。何か月かすれば、ようやく理解できることもある。それならまだいい方で、理解に到達するまでに何年もかかることもある。
知識自体は、頭の片隅にある。索引も自動で作成される。その索引というもののおかげで、知識を使いたい時には都合よく援用できている(と思う)。

シナリオの本も、最初に読んだ時は「ふーん、こういうもんなんだ」と、わかった気になる。
しかし実際理解できるようになるのは、もう少し先だ。そこに書かれている内容を、現実世界で本当に目撃したり、体験したりしないと、理解、つまり裏付けが取れた感じがしないのだ。
もしかしたら、理解の遅さは、自分なりの情報リテラシーなのかもしれない。

映画の脚本術の本で「SAVE THE CATの法則」という有名なシリーズがある。
2005年にブレイク・スナイダーという脚本家が著した、物語の作り方の方程式が載っている本だ。
私の本棚にあるのは、このSAVE THE CATの法則を使って小説を書いてみようという趣旨の本だ。作者はジェシカ・ブロディという小説家である。

このシリーズ名となっている「SAVE THE CAT」というのは、「どんなに性格の悪い主人公でも、作中で猫を助けるシーンがあれば、読者に好感を持たれますよ」というテクニックのことだそうだ。

確かに猫を助けるような人ならいい人物だろう。
だけど、そんな都合よく、読者の好感度アップにつながるものだろうか?
あざとく映ったりしないだろうか? 
偽善だとか、作者の恣意的な仕掛けだとか、疑われやしないか?

そんなふうに懐疑的になっていた、ある日のことだった。
私はJRの普通列車に乗っていた。
とある駅で、一人の男性が乗ってきた。
がっちりした体格で、やや長い黒髪はオールバックにしている。サングラスをかけて、顔の造作は見て取れない。年齢はまあまあ若そう、三十歳前後だろうか。
席がどこも埋まっていたせいで、彼は、着席している私の前に立った。吊り革にはつかまらず、始終スマホをいじっている。

なんだか怖そうな人だなぁと思っていると、次の駅で、私の隣の席が空いた。
怖そうな男性は、すかさず、そこに腰を落ち着けた。

私は居住まいを正した。怖そうだと思っているから、怖いものが引き寄せられてしまったのではとさえ思った。
そして、ふと男性がいじっているスマホの画面が、チラッと見えた時。
私はSAVE THE CATの法則を彷彿とした。

なんと、彼が熱心に見ていたスマホの画面には。
可愛らしい赤ちゃんの画像が、アップで映っていたのだ。
彼が太い指でスワイプすると、赤ちゃんの静止した写真だったり、ムービーだったり。

私は、じっと覗き見するわけにいかず、慌てて目をそらした。
とてもいいものを見てしまった。この人、めっちゃいい人だ。今こうして電車に乗っている間も、自分の子供に会いたくてたまらないのかもしれない。どこのどなたか知りませんが、見た目が怖そうだなんて思ってしまい、申し訳ない。
SAVE THE CATの法則は、一理あると証明されたひと時だった。


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