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シガーキス

今回の旅行で浮かんだ構想を書き起こしてみました。
拙い文章とはなりますがお読みいただければ幸いです。
『シガーキス』→『4月、紫煙と往く』の順でお読みいただくことをお勧めいたしますがご自由です。
誤字脱字・文法誤り等ございましたら教えていただけると幸いです。

イラスト/ノーコピーライトガール様




あぁ、またか。
タバコの煙を吐きながらそう頭の片隅で考える。もう慣れたもんだ。
煙で遮られた向こう側にいたのは、半透明な女性の姿だった。

最近妙な幻覚を見る。今にも消えてしまいそうな女性の姿だ。
こいつは決まって俺がタバコを吸っている時に現れる。愛用している電子タバコを吸っている時には現れない。気まぐれでたまに吸うCAMELメンソールを吸う時だけ、まるで煙を求めているかのように出てくるのだ。



初めて見たのは、お気に入りのカフェでブラックコーヒーを飲みながら開封したばかりのタバコに火を付けた時だった。コーヒーに合わせるのは紙タバコと決めていたので、俺以外に客はまばらな店内で徐に火をつける。隣の席にいきなり女の幻影が現れやがった。朧げな、しかしはっきりとした女性の姿で、突然のことに驚愕した俺は急いでタバコの火を消し席を立つ。まだ長く残っていたタバコの火が消えると同時に女の姿は消えた。突然立ち上がった俺にまばらな客の目線は向かう。怪訝な目だ。ほぼ手をつけていないコーヒーを急いで飲み干し、いそいそと会計を済ませて店を後にした。

誰の目もないことを確認し、店の外にも併設されていた喫煙所でもう一度CAMELに火をつける。

するとまた現れた。俺は内心驚きながらも落ち着いて女の様子を観察してみる。やはり、女性の姿をしている。今度は俺と同じく立った状態。身長は俺より5センチほど小さいくらいで、髪の毛は結んでおらず胸までくらいの長さ。
オフィスカジュアルな格好に、ブランド物のような薄い羽織ものを着ている。表情は少し暗い。女は落ち着かない様子で周りを見渡していたが、俺の姿を見ると突然寂しげな笑みを浮かべた。その笑い顔に、遠い記憶が蘇ってきた。



「瑛太くん〜」
鹿児島訛りでそう俺を呼ぶ奴は1人しかいない。幸穂だ。他のサークル仲間はみんな呼び捨てか苗字にさん付け。特別仲の良いやつはあだ名。俺の当時の彼女だ。

「今回の演奏もめちゃくちゃ良かったね!これならきっと選考も受かっちゃうよ、羨ましいな〜」

俺はその言葉に返す。

「まだ決まったわけじゃないよ。他のバンドもみんな凄かったしね。」

「私は君に投票するよさ、みんなも悩んでるかもしれないけどぶっちぎりで全員の拍が揃ってたね。」

「めちゃくちゃ嬉しいこと言ってくれるじゃん。この曲マジで合わせ難しかったんだよなぁ・・・」

「さすが、私の着眼点は違いますね!」

「はいはい、そこまで見てくれるとはありがたいことですわ。」

「なんか適当じゃ〜ん」


幸穂とは大学で出会った。色白な肌に綺麗な黒い髪を肩まで垂らし、透き通るような目をした可愛らしい女性である。背丈は俺より5センチほど小さい。同じサークルに入った部員という繋がりである。
俺はリードギター、彼女はキーボードと、コピーするバンドによっては絡みも少ない2人であり、サークル仲間という域を出ない関係。学部も異なり、そもそも俺はあまり授業に顔を最低限しか出さなかったので学校内で出会うことはなかった。


テスト期間で授業が午前で終わったある日のことである。最近見つけたお気に入りの喫茶店に入りアイスコーヒーを注文して席に座る。ちょうど夏休みに入る直前であり、他の学生はテストが終わり遊んでいるのか客は俺以外にいなかった。
からり。と氷の音が鳴りコーヒーが届く。タバコに火をつける。テストで疲れた頭に心地いい刺激が届く。そんな時だった。

ドアのベルが鳴る。俺以外に来客とは珍しい。そう思えるくらいこの店にはあまり客が来ない。やってきたのは幸穂だった。


「あれっ瑛太くん?」
目敏く俺を見つけた幸穂がそう声をかける。するりと俺の隣に座った。メニュー表も見ずに、意外と慣れたように注文をする。

「アイスカフェラテお願いします、シロップは1つください。」

丁寧に店主に注文を通してこちらを向く。

「どうしたの?こんなところで会うなんてびっくりだよ。てっきり部室で練習しているもんかと。」

こんなとこなんて言うな、店主がビクッとしただろう。

「テスト終わりで暇だったからさ。練習の前に一服しようと思って。実はここよく来るんだ。」

「えー!そうなんだ!私は最近ここを見つけてさ。来るのはまだ4回目くらいかな。毎回誰もタバコ吸っている人いなかったからタバコOKなんて知らなかったよ。」

「あ、ごめんタバコ苦手だった?苦手なら消すよ。」

慌てた様子で幸穂が答える。

「あっいや大丈夫!お父さんも吸ってたし匂いには慣れてるよ。瑛太くんが吸ってるのあんまり見ないから、こう目の前で見ると新鮮〜って感じ。」

「あぁ〜、バイトがしんどくて吸い始めちゃって。サークルの先輩とかとはよく吸ってるんだけど中々見る機会もないもんね。」

幸穂の前にアイスカフェラテが届く。シロップを入れて一口。

「ん〜美味しい!ここのミルクや豆、いいのを使っているのかすごく美味しく感じちゃうんだよね。」

「あっ分かる。アイスコーヒーは水出しで作っていて、酸味もなくてすごく好きなんだ。」

「もしかして瑛太くんってよくカフェとかいくの?」

「そうだね。お気に入りのお店を見つけたらよくそこに行くし、他を探したりすることもするよ。旅行先で出会う喫茶店とか好きなんだよね。」

「ほんと!?私も散歩とか好きなんだけど、カフェとか見かけるとつい入っちゃうんだよね〜ここもそれで見つけて!」

ふと、彼女の口調に違和感を覚える。

「めちゃくちゃいい趣味じゃん。気持ちはよく分かるなぁ。ところで幸穂さん、鹿児島出身?」

少し顔を赤くして幸穂が答える。彼女の飲みかけのカフェラテの氷がからりと鳴った。

「うん、そうだよ。もしかしてイントネーションやっぱりおかしい?親しい人の前だったり好きなことについて話したりするとどうしても出ちゃうんだよね。」

「全然抵抗ないよ。鹿児島の知り合いっていないから新鮮だし、聞いてて心地いいくらい。」

「それならいいんだけど・・・」

わずかに俯いていた幸穂の顔が上がる。

「ねぇ、良かったらこれからもカフェ情報色々共有しない?中々1人でいろんなカフェ行く人もいなくてさ。いいとこ、たくさん知りたいんだよね。」

「もちろん、俺なんかで良ければ全然。」

「やった!タバコが吸えるところでも遠慮なく教えてね!」

最後に一口、コーヒーを口に含む。氷も溶け切って少し苦味も薄くなっていた。



そうして俺と幸穂は、サークルで出会うだけでなく定期的に連絡を取り合った。幸穂の趣味はカフェ巡りに散歩とは聞いていたが、それ以外にもゲームや漫画、映画にアニメと数多くあることを知ったし、好きなバンドの話ももちろんした。一緒にカフェに出向くことも増えていき、気づけば俺は幸穂に惹かれていた。
俺から告白して幸穂も嬉しそうな表情でOKしてくれて。大学を卒業するまでずっと一緒にお互いの好きなことをした。


カフェに行くのはもちろんのこと、映画を見たりゲームをしたり。俺の趣味である旅行にもたくさん行った。車を持っていたから近場の県にはほとんど行ったし、就活が本格化する前には飛行機に乗って東京にも観光しに行った。



「瑛太くん見て見て!!人がめっちゃいる!東京やばすぎ!」

もはや聞き慣れた彼女の鹿児島弁が耳に心地いい。俺にも移っているのだろうか、自分では分からない。

「はしゃぎすぎると目立つよ〜。せっかくライブまで時間あるんだし、渋谷あたりでぶらぶらしてみよっか。」

「そうしよう!やっぱり色んなお店がたくさんあるんだなぁ・・・洋服屋さんもめちゃくちゃあって、どこ入ろうか悩むね。」

「幸穂はアパレル系の会社とかが希望なんだっけ?」

「そうだね〜、やっぱり人と話すのが好きだし、その人に合う服を選んでそれで喜んでくれる姿を想像すると憧れちゃうな。」

咲きかけの桜の蕾が風に吹かれて揺れ動く。どうしても卒業後を意識せずにはいられない。

「幸穂にぴったりな仕事だと俺は思うよ、絶対なれるさ。じゃあそろそろ駅に向かおうか。上手く回ればライブまでに色んなところ見れそうだよ。」

話題を逸らしながら歩みを進める。瑛太は卒業後、今通っている大学がある県内の企業にすると半ば決めていた。元々地元なのだ。そこを離れるという決心がつかなかった。遠距離になるかもしれないが、それはそれでなんとかなるだろうと楽観視していた。



「あはは、少し遠くなっちゃったね。」

卒業して少しして、配属先通知が届く。幸穂は泣きそうな顔で無理やり笑う。幸穂が入った企業は全国に支店があるような有名なアパレル企業であり、瑛太とは新幹線で1時間半ほどの距離にある支店に配属となった。

「大丈夫さ。俺は土日休みだし、新幹線も通っている。いつでもすぐ会える距離だよ。」

「でも私シフト制だし、土日は忙しいかもだよ?」

「きっとなんとかなる。仕事に向かう幸穂を見送ったり、料理作って待っていたりするのも今から楽しみなくらいだ。せっかくやりたい仕事なんでしょ?幸穂なら絶対大丈夫だし俺が支えるよ。」

半分自分に言い聞かせながら俺は言った。大丈夫。俺たち2人なら全然大丈夫。

「本当にありがとう・・・絶対たくさん連絡取り合おうね。絶対たくさん会おうね。」

新幹線に乗り込む幸穂を見送った後、早足で喫煙所へ駆け込んだ。不安な気持ちを煙と一緒に吐き出してしまいたかった。


それから3年くらいだろうか。俺は幸穂に会いに月に一回は必ず新幹線に飛び乗ったし、連絡もほぼ毎日していた。お互いの仕事の負担にならないよう文量は多くはなかったが、それでも繋がりを感じていたし、休日が被った日には必ず会って一緒にゲームや買い物をした。幸穂が連休を取れた時なんかは2人で旅行も行ったし、俺が帰るギリギリまでいつも一緒に過ごしてくれた。



4年目の4月。幸穂に辞令が届く。東京の本店への辞令だった。次は飛行機で1時間半。俺の地元からは便数も限られている。

「東京勤務かぁ〜、憧れてはいたけど、いざ転勤となるとやっぱり不安だな・・・」

前回配属先が決まった時と同様の表情で幸穂が呟く。当然俺も寂しいし不安だ。

「飛行機で行けることには変わりない。回数は減るかもしれないけれど、それでも会いに行くよ。」

自分に言い聞かせる。この3年やり通したんだ。今回だってきっと大丈夫。

「約束だよ。」

幸穂は寂しそうな表情のまま笑って言うのであった。

「もちろん。」

俺は寂しさを紛らわすようにタバコに火をつけた。


4年目に入り俺の仕事は激増した。元々メンバーだったプロジェクトを責任者として任されるようになり、進行はもちろんのこと育成に管理にと非常に充実した日々であった。もちろん幸穂への連絡は行なっていたが、接待や残業が増えるごとにその回数は減っていった。幸穂も本店の業務が凄まじいのか、返事が返ってくる頻度が徐々に減ってくる。大体深夜に返事が1本返ってくるくらいだ。会いにいったのも5月、7月、11月とどんどん間隔が空いていき、3月になると俺が送ったメッセージへの返事は週に1回ほどになっていった。その返事も、スタンプや相槌などがほとんどであった。


『仕事しんどそうだね、大丈夫?』

3日後の深夜、幸穂から返事が返ってくる。

『大丈夫だよ』


俺は重ねて言う。

『辛い時くらい頼ってね、何でも話して。無理してない?いつでも味方だよ。飛んでいくからね。』

次の返事は更に4日後、深夜2時をすぎた頃だった。

『ありがとうね』


不安が募る。愛想を尽かされてしまったのではないか。何か嫌なことをしてしまったのか。もちろん体調面での不安もあるが、幸穂と疎遠になることを想像すると怖かった。

3月末に送ったメッセージを最後に、今もなお返事が返ってこない。電話でもしようかと思ったが、嫌われていないかという不安や恐怖で何もできなかった。



そんな中現れたのがこの幻影である。最初に彼女を見て幸穂だと分からなかったのも無理はない。11月に最後に会った時とまるで様子が違っていたからだ。
脳裏に焼きついている彼女の姿は、疲れた表情が時たま出るものの、やはり会った時は快活で学生時代と同じような笑顔を振りまいていた。紅葉も散った東京を案内してくれる彼女の姿が眩しくてつい目を細めたものだ。
それがこの幻影は、見ただけで以前の幸穂より数キロ痩せているのがわかる。決して太っていたわけではない。元々細かった彼女の体は、抱きしめたら折れてしまいそうなほどになっていた。肩口で揃えていた髪も伸び、胸の辺りまで伸びている。表情も暗かったので最初は全く分からなかった。

カフェで突然現れたこの女性を、外の喫煙所で観察しておそらく幸穂の幻覚だろうと当たりをつける。ふっと短く息を吐いてタバコの火を消した。辞令のたびに目にした、寂しそうな笑顔が虚空に溶けていった。



3月末に飼っていた猫を亡くした。入社してすぐ飼い始めた、拾った白猫だ。『シュガー』なんて斜に構えた名前をつけて幸穂に笑われた。すぐに幸穂も、俺が写真を見せるたび「シュガちゃん」なんて呼んで可愛がっていた。
飼い始めた時がもう6歳くらいで、亡くなった頃は10歳を越えていただろう。ありふれた話だ。出張で3日ほど家を空けた。直前にトイレは綺麗にし、自動給餌器の残量の確認をし、水も新しいものに取り替えたっぷり入れてきた。出張から戻った時には、いつも日向ぼっこをしていた椅子の上で既に事切れていた。寿命だったのだろうか。表情は穏やかだったのがせめてもの救いであった。
翌日会社に戻り、4月の前半に有給を突っ込んだ。幸い仕事も一区切りついたタイミングだったため、上司も事情を汲み取ってくれた。入社してずっと連れ添った相棒だ。ペット葬を依頼し事後処理等を済ませる。有給期間も半分をすぎた頃、ひと段落したので喫茶店に入った時に見たのが幸穂の幻影だった。


ペットを失った悲しみで幻覚でも見ているのだろう。初めの1〜2日はそう考えたが、3日目になってまで出てくると流石に慣れ始める。飼い猫を喪した寂しさに、最近連絡が取れない幸穂が重なって見えているのだろうと結論づける。



彼女はやはり一緒にいて面白い。もちろん他人には見えていないようだが、彼女からは周囲の風景と俺の姿は見えているようだ。俺が喫茶店でタバコを吸っている時は、席に律儀に座ってこっちを見ている。俺と同じタイミングでコーヒーを飲むふりをする。苦そうな表情を見せた。同じブラックを飲んでいる設定らしい。公衆の喫煙所にいる時は物珍しそうに周りをキョロキョロとしている。少しすると俺の隣に立ち、タバコをふかす真似を始めるもんだから咽せそうになった。唯一、職場で一本吸った時だけは知らない人ばかりで不安なのか寄り添って離れようとしなかった。


ふと幸穂の性格を思い出す。彼女は色んなことに影響を受けていた。中学時代にハマったアニメの影響でキーボードを始めたと言っていたし、高校時代にはゲーム好きの友人と一緒に格闘ゲームを極めていたらしい。付き合いだしてからしばらくした後、いきなり「キャンプに行こう!」と誘われたのはいい思い出だ。

「幸穂、ゆるーくキャンプするアニメでも見たかな?」

「んん〜??ちょっと何言ってるか分からない。とりあえずテント見に行こ!」

「はいはい車出しますよ。金額を見て慄くがいいよ。」

「えっそんなするの?揃えようとしたらいくらかかるの・・・??」

「ロッジに泊まるのもありなんじゃない?」

そんな会話をしながら、1万前後でそれっぽい道具だけ揃えて後日ロッジに泊まった。

映画やアニメのワンシーンもすぐ真似したがる。タバコのシチュエーションもやはりそれなのだろう。一緒にいて思わずつられて笑ってしまう、そんな日常が好きだった。



自宅では電子タバコしか吸わないが、試しに1本と、換気扇の下でCAMELに火をつける。残りのタバコは半分ほどだ。やはり幸穂は現れた。
周囲を確認して、そこが俺の自宅だと分かるとはしゃぎ回る。その様子がおかしくて、つい2、3本と続けて吸ってしまった。3本目の時に、シュガーの写真と添えられた花に気づく。突然悲しそうな表情を浮かべ、写真に向かって手を合わせた。
口に残り数ミリのタバコを咥えながら、隣に座って俺も手を合わせた。涙を浮かべた顔がお互いの目に入る。吸い終わったタバコから火が消えて幸穂も姿を消した。



その日を境に、幸穂の様子が少しおかしくなる。俺が紙タバコを吸うたびに現れるのは変わらないのだが、周りの状況には目を向けずひたすら俺の口元を見つめるのだ。喫茶店でも職場でもお構いなし。何だろうと1日ほど考える。
あぁそうか、キスしたいのか。自宅でタバコに火をつけ、出てきた幸穂に向かい合う。髪の毛をゆっくりと撫で付け、口元を近づける。いつものキスの流れだ。幸穂は驚いた表情をし、目を瞑る。感触のないキスをした後、幸穂はニヤニヤと、しかし嬉しそうに笑った。
満足したかな。そう考えてタバコを口元に持っていくが、彼女は先ほどと変わらず口元を見つめている。訳が分からない。正解じゃなかったのか。思考がぐるぐる回る。吸いながら考えているうちに彼女は消えた。



有休消費最後の1日、俺は必死に考える。何かに突き動かされるように。言葉にしないと伝わらないとはよく言ったもんだ。話せない彼女が何を望んでいるのか見当もつかない。明日から日常が戻ってきてしまう、その前に彼女の望みを叶えたい。
もう一度よく見てみようとタバコに手を伸ばす。直前、ふと、彼女の様子がおかしくなった日を思い出した。2人で写真に向かって手を合わせた日からだ。
今までの行動を思い出す。アニメの真似をしてキーボードを始めた。キャンプを始めた。俺の真似をして得意でもないブラックコーヒーを飲んだ。タバコを吐く動作をした。職場では違ったが、やっぱり幻影でも真似したがるところは変わらないのか。タバコの箱を確認する。残り2本。これで違ったらまた笑ってくれるだろう。


タバコに火をつける。現れた彼女はやはりじっと俺を見つめる。徐に俺は最後のタバコを彼女に渡す。彼女は少し驚いたように、しかし満足そうな顔でそれを受け取ろうとする。手元に置き手を離す。ポトリと床に落ちる音がした。
まぁそうだよな。半笑いになりながら落ちたタバコを拾い上げたが、幸穂に目をやるとその手にはタバコが乗っていた。口に咥えて自慢げにこちらを見ている。不思議と似合っていた。
俺はその姿に笑いながら彼女に愛用のライターを渡す。瞬間、わずかに彼女の顔が曇ったが、手元を見ていた俺はそれに気づけない。ライターも同様にガシャリと落ちる。彼女の手元に目をやるがライターは握られていない。
どういうことだろうか。彼女を見ると不満げだ。タバコを渡すところまでは正解だったのだろう。どうも緊張して吸いすぎてしまったのか、俺のタバコの灰が落ち彼女も消えてしまった。



必死に考える。あと一手、何かが足りない。タバコも最後の一本だ。追加で買ったところで彼女がまた現れてくれる保証などどこにもない。それどころか何故か、これが彼女に会える最期だと予感めいた焦燥を覚える。
彼女の行動を思い出せ。タバコが手元にある。火は付けられない。きっと、何かの真似をしたいんだ。それはそれとしてキスを迫った時はちゃんと嬉しそうだったな。よかった。思考が脱線しそうになった瞬間、頭の中でピースが嵌った音がした。これだ。



不思議と涙が溢れそうになる。一呼吸。心を落ち着ける。実行するのは初めてだ。震えそうになる指を必死に抑え最後のタバコを口に咥える。
火を灯す。瞬間、先程と同様タバコを持った姿で幸穂は現れた。彼女に、タバコを口に咥えるようにと合図する。穏やかな表情でタバコを口に咥えた彼女に向かい合う。
タバコの先が触れ合った瞬間、強めに息を吸い込む。幸穂はやり方が分かるだろうか。ふと疑問に思ったが彼女もちゃんと吸い込んでいるようだ。お互いの火が強く燃え上がる。燃え移ったのを確認してタバコの先を離した。


寂しさが胸に込み上げるが、彼女は非常に満足そうにこちらを見つめていた。つられて自然と顔が綻ぶ。彼女のペースに合わせて、いや、それ以上に遅くタバコをゆっくり吸い込んだ。残り6割。特に何かを話すでもなく、横に並んで煙を吐き出す。いや、俺はもはや口をつけるだけでなるべく燃やさないようにしていた。彼女は噛み締めるように吸い続ける。俺よりもペースは早い。残り2割。彼女のタバコはもうあと1、2口で終わってしまうだろう。向かい合う。最後の煙が彼女の口から吐き出される。何だよ、様になっているじゃん。幸穂の口元が動く。


「あぁ、こちらこそ、ありがとう。」


俺のタバコは残りわずか。先に消えたのは、彼女の姿だった。

吸い残した俺のタバコの、フィルターの焦げる匂いがした。


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