トイレシートの攻防戦
あるじサイド
8ヵ月齢を過ぎるまで、小僧はトイレの場所を覚えなかった。リビングの最北端の角地に2枚並べて敷いたペット用トイレシートは、取り替えられることなく静かに埃を被っている。
室内犬は散歩で用を足すこともあるが、室内に設置したトイレシート上ですることも覚えさせなければならない。台風、大雪、酷暑など、散歩に行けない日もあるからだ。
あるじとして小僧を迎え入れる前から、大量の書籍で犬の飼育について学んだ。そのなかには、動物行動学者が教えるトイレのしつけ方法もあった。
トイレに行きたそうなときを見計らってシートに誘導する。
トイレシートにオシッコの匂いを付けておく。
もよおしやすい食事の後、用を足すまでケージの中に入れておく。
ところが全ての方法が小僧によって打ち破られた。研究者が次の方法を発見するまで、待つしかないのか。
そうかと思えば、見ていないときに限ってトイレシートの上で正しく排泄をしている。トイレ訓練は「誉めること」がとにかく重要だ。遅くとも行為後10秒以内に褒めなければ、犬には理解できない。
見ていないときにできていたって、誉めてあげられないじゃないか。なぜ、見ているときにやらないのだ、小僧。
苦虫を噛みしめる。それでも仕方なし、小僧をトイレの前まで連れていき、まだ温かさが残り、匂い立つトイレシートの前でおやつの肉片を与えてやった。
それならば散歩でさせようと、小僧が好みそうな草むらや、他の犬の匂いがするであろう電信柱などに近づけてみる。
「ほら、小僧。他の犬の匂いがするでしょ?お前もここに匂いを付けたらどうだ」
しかし、やつは頑として用を足そうとしなかった。
おかしいじゃないか。犬といえば、散歩で電信柱にオシッコを引っかける生き物だ。同い年のちょびすけ君なんて、華麗に片足を上げ、美しい放物線を描いて飛ばしていたのに。
散歩でしなくて、いつするんだ。汚れた肉球を拭き部屋に放つと、小僧は思い出したようにカーペットを濡らした。
小僧の脇に手を入れて、目線の高さまで抱き上げる。腋窩動脈から、力強い拍動が手のひらに伝わった。まだ筋肉が育ち切っていない体は、くにゃりと柔らかい。小僧は足をだらんと垂らし、大きな耳をぺたんと後ろに倒す。反省しているように見えなくもない。しかし甘い。口元をきつく結び、顎を前に押し出すような表情。
わかっているぞ、お前がまったく反省していないことぐらい。
小僧サイド
あるじが敷いた2枚のシートには、見覚えがある。まだ大勢の犬と暮らしていたときにも敷いてあったやつだ。あれの上で用を足すのは知っている。知っているけど、思い出せないだけだ。おしっこ行きたい!と思ったときにはあのシートのことなんてすっかり忘れてるんだから。
あるじは、用もないのにしょっちゅうシートの上に俺を連れて行く。でも、おしっこが出ないときには、ここで何をすればいいのかわからない。あるじは俺を見て、「ちっち、ちっち」と舌打ちをする。よくわからない。遊びを続けたい俺は、あるじの脇をすり抜ける。そのうちまた、おしっこをしたくなるんだ。
そりゃあ散歩は大好きだけど、野糞や立ちションなんて論外だ。誰が見てるかわからないし。それに、最近は犬の立ちションも良しとされていないだろ。
いつだって散歩から帰りたくないから、俺は一生懸命おしっこを我慢した。もっと外にいたいから、お尻をぎゅっと引き締めて、我慢してたんだ。家に帰ってきたとき、ちょっとだけ頭の片隅に、あの2枚のシートが浮かんだけど、やっぱりもう我慢できなかった。
なんだ、また説教か。あるじの説教は長いからな。目をそらしてじっとしていれば、反省してるように見えるだろ。ここはしおらしい態度を見せて、受け流しておこう。
あるじサイド
最後に小僧がトイレを失敗したのはいつだろう。もう思い出せない。内臓器官が成熟していくにつれて排泄の回数が少なくなり、いつしか失敗の回数も減っていった。
小僧が初めて外で排泄をしたのは、1歳の誕生日直前、雨の降る6月だった。
散歩中に片足を上げて排尿するようになったのは、1歳を超えてから。
初めて排泄の後に後ろ足で砂を蹴る動作をしたのは、2歳になる頃だったっけ。排泄後に地面を蹴るのはマーキングの一種で、オスとしての正常な行動だ。体が小さく、成熟したオスらしい行動をなかなか見せなかった小僧が初めて砂を蹴ったとき、思わず涙ぐんでしまったと言ったら、笑われるかもしれない。
一つひとつ、大人の階段を昇る小僧を頼もしく思う一方、そう遠くない未来に折り返しを迎えることなど、そのときは想像もできなかった。
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