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ほぼヒキコモリでなにかあかんか?

わたしは、家にいるのがすき。

ひとりで部屋にいる時間が必要。頻繁な外出は疲れる。

必要があれば苦痛も感じるが、たまに外出する。

たまの娯楽的な外出はすき。安心できる人との会話はたのしい。

外出の頻度が少なく(他者比較)、家にいるのが好き。

人にわかってもらいやすく?伝えるため

便宜上「ヒキコモリ」という言葉を使ってる。

別に「インドア派」って言葉でもいい。


「ヒキコモリ」に定義があるのか調べてみた。

半年以上自宅に引きこもっている状態

ほほう。ならば、わたしは「厚生省の定義する」「ひきこもり」ではないんだな。

月2回

(体調によってスキップする事もある)

外出

(通院・カウンセリング)

しているわたしは「ひきこもり」ではないのか。


しかし、人に、自分の状況を話すと

「ヒキコモリやん!」と、言われることもある。

今「ヒキコモリ」の定義は人によるかんじ?

これからは、「ほぼヒキコモリ」って言うことにしようかな。


自分は「ヒキコモリ」って言葉や状態にネガティブな感情は、あんまりない。

生活スタイルってかんじかな…?

(そんな格好つけて言う事でもないなぁ)


家にいるのが好き。


今はネットがあるし、こうして自分の思ってること書いたりできる。

(読んでくれて、ありがとう。)


逆に色んな人の発信も、見れる。


前にも書いたけど

ツイキャス・スペース・ユーチューブなどで人の声も、聴ける。


ネット上の言葉や姿が「すべて」とは、思っていないけど。

ネット上でしか出せない言葉とか、姿もある。と思っていて。

それも「人の一面」だから、見ていて、たのしかったりする。

(発信してくれて、ありがとう。)


「そこに人がいる」んだなぁと、感じる。

わたしの場合、それで結構、満たされる。



月1回、病院へ行き主治医に心身の健康状態をはなし。

月に1回、臨床心理士さんに精神状態をはなし。

不定期で友人と思っている人に、会ってはなし。

ここやツイッターで思いを放出、放す。

(うお!もしかして「話す」って「放す」ってことが語源!?)


だから、「ヒキコモリ」が社会問題みたいな取り扱いをされて話題になると「ん~」とは、思う。

(厚生労働省の定義に当てはまる「ひきこもり」は社会の問題ではあるのかな…わからない。)


今、この環境だからこそ「ほぼヒキコモリ」な状態を

自分個人は、否定的に「捉えず」に、いられるんだ。と、思う。


でも、最初からこう「捉えて」いたわけでは、ない。


厚生労働省の定義には当てはまらないけど

月1回通院していただけのヒキコモリ時期は

アグレッシブに外へ出て、活動する人を見れば

「うわ~~~やばいやばい…取り残されとる~どないしよう…こわい!」

と、不安や焦燥感が強くあった。

寂しさや孤独感も強かった。

(今もあるけど、減った。人間だもの、ありはする。)



なにが言いたいかというと、

「ここにきてわたしの思いを最後まで読んでくれてありがとう。」です。



今色んな人のおかげと

じぶんのファイトで

「ほぼヒキコモリでなにかあかんか?」

という、タイトルの記事を、noteに投稿するくらい

自信(???)を、取り戻せつつある。


失敗もするし、へこたれもするけどね。

ええやん。今なんとかなってるねんから。


くたばるその時まで諦めへんぞ!



今日のところは自分の中で、こういった結論に至りましたとさ。おしまい。