眉村ちあきさんが思い出させてくれた

妻が死んで半年ほど経って毎晩泣くようなこともなくなり
気持ちがだいぶ落ち着き始めて毎日を淡々と過ごせるようになった昨年の11月頃、僕はただ毎日働くだけの生活を過ごしていた。
いつの間にか欲がごっそり抜け落ちてしまったようで、欲が無いからしあわせだとか不幸だとか感じることもなく、
だから妻の死も背負った借金もそれほどの負担にはならずに、
ただ淡々と生きていくだけの毎日だった。

幸せになりたいと思えないとほんとに楽に暮らせる。
落ち込むこともなくやりたいこともなく、
仕事に追われてるはずなのに全然つらくもなく、
生きて働いて社会人として生活出来れば、ただそれでいいと思った。
月命日に行く妻の墓参りで、妻に報告することもたいしてなくなっていた。
元気にやってるよ、心配しないで。
きっと棒読みでの報告になっていたと思う。

なんで元気でしあわせでいないといけないのだろう。
わざわざ不幸せや不健康に向かうことは不自然なことだし周りの人に心配や迷惑をかけるから良いことだとは思わないが、
元気やしあわせでいることが生きる意味みたいな前向きな意志が、心身に馴染まなかった。
音楽やSNSに溢れるポジティブな意志。
それが自分には邪魔だった。
欲を追いやって、ただ淡々と生きてさえいればいい。
仕事や奉仕活動で社会に貢献出来てさえいれば、自分が生きることが害悪にはならないだろう。
そんなふうにここ数カ月暮らしてきた。
喜怒哀楽がどこかへ消えていた。


大好きな眉村ちあきさんは「私についてこいよ」という歌でこう歌ってくれている。
「私についてこいと あんなに言っただろう
 そんな悲しい顔 させないからさ
 必ず幸せにするんだから」

幸せにしてくれなくても大丈夫、悲しい顔なんかしてないし。
眉村さんは楽しませたい幸せにしたいと本気で思って歌ってくれているけど、俺はもう今のままでいい。
だからもうずっと眉村さんの歌を聴いていない。
楽しさや幸せは、もう不必要だから。



そんな感じで暮らしていたのだが、ここ数週間は眠りながら死んだ妻と
ずっと電話をしていた。
夢の中で電話をしていたわけじゃなくて、ただ眠りながら電話で繋がっていて、眠りの中で妻と電話で話しをして、話をしながら眠りの中で寝落ちして、
眠りの中で目が覚めてまた妻と他愛ない話しをして、
眠りの中で朝起きて電話越しに「おはよう行ってくるね」と言って本当に眠りから目が覚めて仕事に向かう。
妻はずっと僕のことを心配していて、何かやったほうがいいよ、って言ってくれてはいたけど、まあ大丈夫だよ死ぬまでは生きるからさ、と言って
僕はいつもはぐらかしていた。
妻は幸せになって、なんてことは言ってはこなかった。
ただ心配していることは伝わってきた。
仕事で運転している時も、いつも近くにいることを感じていた。
それが霊なのかどうなのかは分からないけど、
愛だということは分かる。
自分の中なのかどこか知らない世界なのかは分からないけれど、
二人の愛みたいなものは、僕の中なのか外なのかも分からないけど、
とても近くでまだ生きているようだ。


妻が心配しているから、少しだけ勇気を出して眉村ちあきさんの新しい
アルバム「ima」を聴いてみた。
眉村さんのことだから、絶対に前向きで元気で愛がいっぱいなアルバムになっているはずだ。
それが自分には馴染まないとしても、でも聴いてみようと思った。
妻に心配かけちゃだめだからね。
少しだけ、ほんの少しでいいから取り戻してみようかなと、なんとなくそう思った。

1曲目の「Lovely days」
「あなたにもっとときめき たくさん見つけてほしいのです」
「袖から出ている手を どこにもぶつけないでいてね」
「広い世界へ今日も飛び出していくあなた 太陽のかけらで守りたい」

眉村さんの優しさ、幸せにしたい願いが、1曲目から全出しだ。
アルバム全編が、優しさの振り幅がとんでもない。
刺さる、どうしても刺さる。
今の俺には痛くてつらいはずなのに、なぜか楽しい。
鬱陶しかった優しさというものが、眉村さんのアルバム「ima」では
とても楽しい。
泣けるけど、楽しい!

妻と結婚した当時、二人で聴きまくった小沢健二のアルバム「LIFE」を
思い出した。
妻は小沢健二のことが嫌いだったはずなのに、何度も聞かせているうちに
「LIFE」の曲が大好きになっていった。
そりゃそうだ、だって「LIFE」だもん。
あの名盤の魔法にかかったらひとたまりもない。
好きにならずにはいられない。
あの頃「LIFE」が僕たち二人を繋ぎとめていてくれた。
きっと眉村さんの「ima」も、妻が聴いたら好きになっているはず。
妻は眉村さんのことを毛嫌いしていたけど、「ima」の魔法にかかれば
いちころなはずだ。
確信している、間違いないはず。
「ima」を妻は今楽しんで聴いている。
俺が「ima」を聴いている時、妻も一緒に聴いている。


すっかり忘れていた。
俺は妻が生きていた時、幸せになりたいとか元気になりたいとか
もちろんそうは思っていたけど、
一番思っていたことはそれじゃなかった。
そのことをすっかり忘れていた。
俺は妻を幸せに元気にしたかったんだ。
どうしても何が何でも幸せに元気にしたかった。
生きて、どんな状態でもいいから生き続けて、少しでも前向きで、少しでも楽しんで、少しでも幸せを感じていてほしかった。
そのためなら俺の命なんてどうでもよかった。
幸せにしたかった、ほんとにどうしても、幸せにしなけりゃいけなかった。
生かせてあげたかった。
生き続けさせてあげたかった。
ほんとうにほんとうに、心から妻の幸せを願っていたんだ。
どうしようもなく何にすがってもどうしても
幸せになってほしかったんだ。
なぜかそのことを、すっかり忘れていた。


愛する人には幸せになってほしいと思うことは、ごく当たり前のこと。
そんな当たり前のことを忘れていた俺に、眉村さんが思い出させてくれた。
妻が愛してくれた俺自身を、俺は自分で愛せるのかな。
いや、ちゃんと愛さないとね、妻が愛してくれているのだから。
ちょっとまだまだ取り戻せるには時間がかかりそうだけど、
もう少し眠りの中の電話で妻と楽しい話しが出来るようにしないとね。
幸せになりたいと思う心を取り戻すことが、幸せになってと願ってくれている妻との会話を成立させる鍵だな。
眉村さんの愛にもちゃんと応えないとね。
あんなにファンのことを愛してくれているのだから、
俺も俺を愛してあげたいよ。
眉村さん、ありがとう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?