わかってほしいのに、いつも

「それで、文学科の美女とはどうなったの」
 お昼の時間帯だった。通っている大学から少し離れたところにあるラーメン屋で友人である九条燕(くじょうつばめ)とダラダラとラーメンを食べていると、突然向こうがなんの脈絡もなく切り出してきた。
 文学科の美女。俺達が通っている緑黄館大学文学科にいる古典と日本文学が好きな学生の伏見紗菜(ふしみさな)のことだ。
 容姿端麗、大人っぽい顔立ちで甘い声の持ち主。現在フリーという話を聞いてアタックを仕掛けてみたのだが。
「なんにもないよ。本当になんにもなかった」
 フッと遠い目をして俺は独りで黄昏る。
 そんな俺の惨めな姿を見ながら、友人である燕は特に感情がこもってない瞳で俺を見つめた。
「なんにもって、なんにもないことはないでしょ。連絡とかしてないの?」
「連絡……は別にしてないけど。でもデートはした。けど……あれは多分脈なしだ」
「まじ?」
「まじだよ」
「……どんまいって言ってあげた方がいい?」
「なにも言うな」
 結局2人とも黙り込み、黙々とラーメンをすする。
 半分以上ラーメンを片付けたところで、ふと、伏見紗菜に聞かれたことを思い出す。
 俺の対面でラーメンをすすっている燕。中学生の頃からの腐れ縁である友達は、うっすらと滲み浮かんできた汗を女性モノのハンカチでそっと拭いた。
「そういえばこの前伏見さんに聞かれたよ。お前のこと」
「僕のこと? 迅(じん)じゃなくて?」
「九条くんってなんで女装してるのって、聞かれた」
 一瞬だけ燕が固まる。しかしすぐに動きだし、燕は伸ばした長い黒髪を耳にかけ、再びラーメンをすする。
「……迅は、なんて答えたの」
「別に変な答えはしてないけど……好きだからやってるとか、そんな感じ」
「そんな感じ?」
「えっと、良くなかったか?」
「……ううん。気にしてないよ」
 ラーメンを食べ終え、燕がスッとレンゲでスープを掬い、口へと運ぶ。
 肩甲骨のあたりまで伸びた長い黒髪。大きな目に潤いのある唇。真っ白なロングスカートに薄めの黒いタイツ。黒のニットにグレーと白のボーダー柄のジャケット風カーディガン。どっからどう見ても女の子だ。それも美少女。
 少しだけ見える手首は白く細く、とても男には見えない。
 中学生の頃からそういう趣味はあったようで、俺の知らないところで色んな格好を試していたらしい。
 決定的だったのは高校生の頃だ。俺たちが通っていた高校は制服がなくて私服だった。みんながそれぞれそれなりにおしゃれしたり、めちゃくちゃラフな格好をしたりしながら授業を受けていたなかで、ある日燕が女装姿で登校したのだ。
 俺は驚いた。というのも、燕の女装姿そのものに驚いたわけではなくて、その姿で登校してきたことに驚いたのだ。絶対女装して登校はしないと言っていた。迫害されるだけだからとも。
 とはいえ、クラスメイトはもっと驚いただろう。だが、燕はそこから迫害されるわけでも敬遠されるわけでもなく、なんとなーく、ゆるーい感じで受け入れられた。主に女子に。
 女子が受け入れてしまった以上、男子も受け入れないわけにもいかず、どうにか、燕は女装したまま授業を受けた。
 それ以来燕はずっと女装している。ていうかもう、ずっと女性っぽい服装なので、もはやそれが普通になってしまった。逆に男物の服を着ていると周囲からは『ああ、九条さんってメンズも似合っちゃうんだ』みたいな反応をされる。もうワケわからん。
 とはいえだ。残念ながら燕が女装していることを、関わる人全員が受けいられるはずもなく、伏見紗菜のように気になる人だっているだろう。好奇の目で見られることもままある。
 まぁ結局は燕自身のことなので、俺には分からないだろうけど。
「そろそろ出る?」
 燕が小首を傾げて俺の顔を覗き込む。麺が少しだけ残っていたけど、俺は箸を置いて「そうだな」とだけ返した。
 椅子にかけていたコートを取って、席を立つ燕。俺もサッと上着を着て最後におしぼりで口を拭った。
「こっち、まだついてるよ」
 フッと燕が笑い、自分の左頬を指で叩く。言われた通りおしぼりで左頬を拭うがそれっぽい感触はなかった。
「どこ? なについてる?」
「んーチャーハンのかけらが……」
 燕が俺の目の前まで近づき手を伸ばしてくる。指が俺の右頬に触れ、ご飯粒を取り除く。
 自分が取ったご飯粒をジッと見つめ──ぴゅっとラーメンの器に投げ入れた。
「……左って言わなかった?」
「言ってないよ。ついてるっ言っただけだし」
 ペロッと小さく舌を出して人差し指を舐め、燕が店から出ていく。
 釈然としないなぁと思いながら俺もとりあえず店を出た。
「それで、他にどんなこと聞かれたの?」
 店を出て大学までの通りを歩いていると、燕が前を向きながら切り出した。他人からの視線や評価に大して興味がないこいつにしてはなんだか珍しいなと思いながら、俺はくぁっとあくびをする。
「どんなことって、別に……あーあれは聞かれたな。九条くんって」
「男の子と女の子どっちが好きなの?」
 言おうとしていたことを先に言われ、開けようとした口を思わず閉じる。確かにもはや定番となっている質問だから容易に想像ができたのだろう。
「なんて答えたの?」
「普通に、女の子が好きなんじゃないのって。間違ってた?」
「ううん。大丈夫だけど……」
「……だけど?」
「なんでもない。大丈夫だよ。にしてもみんな本当にそういうことばっかり気になるんだね。そんなの、どっちでも良くない?」
「別にどっちでもいいってわけではないと思うけど……実際どうなんだよ」
「実際って、男が好きだったらとっくに迅に襲われるよう仕向けてるよ」
「サラッと怖いこと言うなよ……」
 しかも俺は襲われる側じゃないのかよ。
「まぁでも、気になるのはやっぱ当然なんじゃないか?」
 コツコツ歩きながら俺はそう言って相手の反応を窺う。燕は俺の顔を見上げ、疑問符を浮かべた。
「当然って、そんなに女装してるやつの恋愛事情が気になるの?」
「女装してるやつっていうか、お前だから気になるんだろ」
「だから、女装してるからでしょ」
「そうじゃなくて。綺麗だから、だろ。みんなが気になるのは」
 燕が大きな目を丸くして固まった。そのまま2秒ほど同じポーズで歩き、横断歩道の信号にひっかかったところで、ようやく顔を前に戻した。
「綺麗だからって……それもその伏見さんが言ってたの?」
 コートのポケットに手を突っ込んで、燕が前を向いたまま訊いてくる。
「ん? いや伏見さんは言ってないよ。綺麗って言うのは……あー俺の意見?」
「なにそれ、迅って普段そんなこと言わないじゃん」
「そりゃ言わないだろ……口説いてるみたいになるし」
「それはまぁ、そうだけど……」
 唇をキュッと引き結び、それ以降燕はすっかり黙り込んでしまった。
 俺も特に話すことがないので、そのまま信号が青に変わるのを待つ。
 チラリと燕へ視線をやると、長い髪の隙間から見える小さな耳が少し赤くなっていた。
「……もしかして綺麗って言われて照れてる?」
「うっさいバカッ! 話しかけんなっ!」

 ◆

「ただいま」
 同居人に向かって放った言葉は、虚しく壁に吸い込まれた。
 真っ暗な室内。僕の部屋へ行くには武藤迅の部屋を通っていかなければいけない。ひとまずバイト先で貰ったお酒とチーズをリュックから取り出して、入ってすぐのキッチンにある冷蔵庫へとしまう。隣接している洗面所で適当に手を洗い、閉まりきっている迅の部屋の戸を開く。
 部屋の中も暗かった。左側のはしっこに置かれたマットレスの上に草臥れた布団が敷いてあって、よーく目を凝らすと迅が横になっている。
「寝るのはや」
 時刻は現在夜中の12時。丁度次の日になった頃だ。僕達は大学生で1年生で19歳。世間的にも肉体的にも若い僕らにとって12時なんてまだまだ起きてる時間帯だというのに、この男は呑気にグースカ寝ているのだ。
 せっかくいいお酒を貰ったのに。一応起こさないよう通りすぎ、自分の部屋に入ってリュックを置く。
「……ふぅ」
 一息ついて、おろしていた髪を乱雑にまとめる。チラッと迅の方を見ると、やっぱり寝ていた。こんな時間からガチ寝かよ。
 なんだか面白くない。そうっと忍び足で近づいて、間抜けな寝顔の撮影を試みることにした。
 音をたてずに枕元までいき、スマホを起動する。カメラアプリを開き、フラッシュとかシャッター音とかの設定をオフにする。よし、これで準備オッケー。
 スッとしゃがみこんでスマホのカメラを向ける。暗い画面に迅の側頭部が写り込む。
「……やっぱ暗いとあんまりだな」
 起こさないように小さな声でぼやく。
 その声に反応したのか、単に寝苦しかっただけなのか、迅が寝返りをうった。
 ぐるっとこっちを向いて寝息を立てる。ムッと生温かい空気が流れ、少しだけ身を引く。
 寝返りをうったことで迅の手がこちらへ伸びてきた。僕とはぜんぜん違う大きい手だ。
 そっとスマホを置いてその場に座り込む。絶対に起きないように慎重に、迅の右手に触れた。
 固くてゴツゴツしてる。確かな熱を持った手に触れて、そのまま顔を近づける。
 迅の指が目の前までくる。さらに近づいて顔を埋めると手のひらが頬に触れた。
「んぅっ……」
 柔らかい温かさが伝わってくる。目を閉じて顔をずらして、人差し指の第二関節に唇を落とす。
 ちゅっと音を立てて右手を離す。これでも迅は起きない。
「わかってないよ、ぜんぶ」
 寝顔に向かって文句を吐き、ゆっくりと立ち上がって僕は自分の部屋に戻った。

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